「土のにおいの染みこんだ」とでもいうべきか。先日、96歳で亡くなった世界的ファッションデザイナー森英恵さんの故郷・島根県吉賀町六日市を訪れた際の第一印象である。作品群の奥底に、小学3年まで過ごしたこの山村の思い出が刻まれているのを読み取れた気がした。野趣とも、時に野蛮とも受け取れる印象である▼哲学者ニーチェ(1844~1900年)は著書『悲劇の誕生』で、暴力性や混沌(こんとん)を含む熱いエネルギーと、型・調和とが拮抗(きっこう)し、ギリシャ悲劇という芸術になると説いた▼森さんの場合も、六日市での体験が時に暴れ出しそうなほどの膨大なエネルギーとなり、後に大都会で身に付けた洗練とともに芸術感覚を支えたのだろう。トレードマークのチョウや花のモチーフの原点は子どもの頃の原風景にあると語っていた▼豊かな自然の恵みを享受するだけではなかったと思う。冬に吹き付ける木枯らしは暴力的で誰とて嫌なものである。森さんが過ごした戦前の六日市ともなれば、豪雪に閉じ込められる上に、暖房器具にも乏しく、恨めしく、つらい季節だったはずだ▼やっと春になり花が咲き、舞うチョウに出合った時、それが「少女・森英恵」の目にどのように映り、どんな気持ちになったのか-。生家跡に整備されたフラワーガーデンで想像をたくましくした。その日は残暑が厳しく、トレードマーク探しには苦労しなかった。(板)