今春、政府がウクライナの首都の呼称をロシア語に由来する「キエフ」から、ウクライナ語の読み方に基づく「キーウ」に変更したことで、ある国のことを思い起こした。現地で終戦を迎えた日本兵の物語『ビルマの竪琴』の舞台ミャンマーだ。1989年の軍事クーデターで国名がビルマから変わった▼反政府運動を理由に軍事政権に逮捕され、釈放後、日本に逃れて政治難民に認定された男性がいた。松江市で講演し、母国の民主化支援を訴える中で「軍事政権が決めた国名を使わずビルマと呼んでほしい」と切々と語った。2000年代後半のことだ▼民主移管は実現したが、続かなかった。民主化運動の指導者アウンサンスーチー氏が率いた政権が21年2月のクーデターで転覆。スーチー氏は軟禁され、軍政による混乱が続く▼翻って日本。参院選で元首相が遊説中に銃撃されて死亡した事件で、報道機関は「民主主義への挑戦」という言葉を使った。犯行動機が反社会的と指摘される宗教団体への恨みと分かり、団体との接点が明るみに出た政治家たちの釈明を聞くにつけ、苦い思いがする▼低投票率から透ける、一票で何かが変えられると思えない社会や、政治家が「聞く力」を持つことが当然と思えない現状こそ、危機なのだろう。勝ち取る対象としての民主化と、既にあるものとして向き合う民主主義について、考えさせられる夏だった。(吉)