参院選遊説中に銃撃され、人生の幕を突然下ろした安倍晋三元首相の国葬が行われ、多くの人が追悼の祈りをささげた。一方で、国葬の法的根拠や国費負担に疑問が投げかけられ、野党の一部は欠席。反対のデモや集会も広がり、新たな分断が生まれた。19発の弔砲が打たれたが、岸田文雄首相は主張や立場の違いを超えた弔鐘を響かせることはできなかった。

 首相は国葬の実施を「行政権の範囲内だ」と繰り返し、内閣府設置法と閣議決定を根拠として開催した。55年前に行われた吉田茂元首相の国葬にならっており、直ちに法的に間違っているとは言えないだろう。だが、首相経験者として戦後2例目の国葬を広く受け入れてもらうのに、十分な説明だったとは思えない。

 安倍氏は計8年8カ月にわたり首相の重責を担ったが、森友学園や桜を見る会の問題で長期政権の弊害も指摘された。首相を退いた後も党内最大派閥を率いており、退陣から死去まで約13年の隔たりがあった吉田元首相とは事情が異なる。

 吉田元首相の国葬を決めた佐藤栄作首相(当時)は、野党第1党だった社会党の理解を得るように動いていたことが関係者の証言で分かってきた。「佐藤日記」からは野党の献花にも気を配っていた様子がうかがえる。

 亡くなる直前まで政治の第一線に身を置いた安倍氏を国葬で送ろうとするなら、岸田首相は批判に正面から向き合い、幅広い合意形成にもっと力を尽くすべきだった。閣議決定を急がず、たとえ反対が残ったとしても、国会に諮ることを考えてもよかったのではないか。法律の問題ではなく、首相の政治家としての姿勢を問いたい。

 共同通信が9月半ばに実施した世論調査では国葬への反対が約60%を占めた。銃撃事件の背景になった世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と安倍氏との関係が浮かび上がったことも一因だろう。

 首相は自民党と教団・関連団体との絶縁を表明したが、長く続いてきた教団側との関係をめぐる調査は不徹底なままだ。安倍氏を調査対象から外していることも不信を高めている。

 確かに、安倍氏はもはや自分で説明したり、弁明したりすることはできない。だからこそ丁寧に調査し事実を探るよう努力すべきではないか。安倍氏が国葬で送られたこととは切り離して解明してほしい。泉下の客になってなお評価が定まらないのは政治家の宿命だ。

 国葬は終わったが、国会での追悼演説はまだこれからだ。国葬が残した亀裂を修復するためにも、演説は慣例通り、安倍氏と論争を繰り広げた野党指導者に委ねるべきだろう。衆参両院が積み重ねてきた和解と融和の知恵を大事にしてほしい。

 国民の価値観は多様化しており、国葬という形式の意義をあらためて問い直す必要もある。国葬を再び行う動きは相当先まで起きないだろう。だがその間に、賛否を巡る議論が風化し、国葬実施という事実だけが先例として残るのは避けたい。

 吉田元首相の時と同じように、安倍氏国葬の公的な記録が作られるはずだ。岸田首相は国葬を決断する時、何に悩み、誰とどんな相談をしたのか。公式記録の枠を超え、法令、理性、情念、政略のはざまにあった意思決定を語り残すことこそ、首相が現代史に負っている責任にほかならない。