原子力規制委員会が異例の多数決で、60年を超える原発の運転を可能にする制度見直し案を決めた。原発推進の政策に配慮して急いだ決定だったことを委員長自ら認めており、東京電力福島第1原発事故を機に設置された規制委が重要視してきた「政治からの独立性」に大きな疑問符が付いた。
規制委は、市民の信頼を損なう誤った行動を猛省し、独立性を確固たるものにする自己改革に取り組まねばならない。
委員5人のうち4人は賛成したが、石渡明委員が反対した。意見が割れたまま重要案件を決定するのは極めて異例だ。背景には「原発依存度低減」から「原発の最大限活用」に大きく政策転換した現政権の姿勢がある。
規制委の決定に先立ち政府は原発推進を盛り込んだ脱炭素化に関する基本方針を閣議決定した。福島事故後に定められた原発の運転期間は「原則40年、最長60年」だが、再稼働のための審査対応で停止した期間を計算から除いて60年超の運転を可能にするとの政策を打ち出した。
石渡委員は、停止期間除外について「審査を厳格にして長引くほど運転期間が延びる。将来、高経年化(老朽化)した炉を運転することになる」と指摘。「科学的、技術的な新知見に基づくものではない。安全側への改変とは言えない」と反対した。規制委は閣議決定とは独立して議論を尽くすべきだったのだが、この意見は無視された。
賛成した委員の一人は「外から定められた締め切りを守らないといけないと、せかされて議論してきた」と話し、山中伸介委員長も「法案のデッドラインがあるので仕方ない」と、政府方針への配慮を認めた。
福島事故以前に安全規制を担った当時の原子力安全・保安院が、原発を推進する経済産業省の中に置かれていたことを問題視され、設立されたのが規制委だ。
政治からの独立が重視されたのは当然で、初代の田中俊一委員長が「独立性をちょっと緩めてしまうと規制委ができた意味、基盤が崩れてしまう。特に気を付けているのは政治からの独立だ」「経産省との整合性に配慮するつもりはない」と述べたのを思い返すべきだ。
決定までのプロセスも極めて不透明だ。今回の制度見直しを巡っては、規制委が検討を始める前の7~9月に、その事務局である原子力規制庁が経産省と面談や電話で頻繁に協議していたことも判明。設立から10年余。当初の緊張感が失われたことは明白だ。規制委に陰に陽に政策転換を迫った「政官」の政策決定者側にも問題がある。
先進国の中では例外的に原発が新設され、高レベル放射性廃棄物の最終処分場も稼働するフィンランドでは、安全規制当局の厳しい姿勢が一因となって、新原発の稼働が大幅に遅れた例がある。
独立性を堅持し、厳密な科学的判断を行う同国の規制機関に市民が寄せる信頼感は強く、これが原発受容度が高い理由だとされる。政治の力で安全規制の独立性を損ねることは、結果的に原発推進勢力にとってもマイナスなのだと知るべきだ。
政策決定者におもねり、独立性と透明性という自らの存在基盤に関わる重要な原則をないがしろにする安全規制当局には、存在意義があるのだろうか。一連の事態はわれわれにこの問いを突き付けたと言える。