米子市中心部に「車尾」と書いて「クズモ」と読む地区がある。いわゆる難読地名で、どう頭をひねっても漢字と読み仮名が一致しない。辞典を引くと、鎌倉時代に後醍醐天皇がこの地で詠んだ歌にちなんだ地名のようだが、はっきりとした読み方の由来は分からないそうだ。
山陰にゆかりのない人にとっては、米子や大山、皆生などの読み方にも戸惑いを覚えるだろう。一つの漢字をさまざまに読む文化は日本語の特徴で、それぞれに背景があって奥深い。
読み方に迷うのは人名も同じ。例えば「渡部さん」の呼び方はワタベさんとワタナベさんに分かれ、自動車会社のトヨタを創業した豊田家は「トヨダ」と濁る。最近はキラキラネームと呼ばれる奇抜な読み方の名前も目立つようになった。
多様さをどこまで認めるか-。氏名の読み仮名が新たに戸籍に加わることに伴い、法相の諮問機関が先日、名前の読み方は「一般に認められているもの」と規定する案をまとめた。差別的なものや社会を混乱させるような読み方に制約を設けるものだ。
一方、人名には音読み、訓読みに加え、頼朝の「朝(とも)」や「美(み)」のように、本来の読みでなくても、新たに生み出され、人々の共感を得て定着する「名乗り訓」もある。何を基準に「一般」と判断するか線引きは難しいが、漢字を自在に使いこなしてきた日本語のしなやかさと命名文化はこの先も大切にしたい。(文)













