55年前のきょうのこと。本紙の前身・島根新聞の読者投稿欄「こだま」に「私たちも里帰りさせてください」と題した文章が掲載された▼ハンセン病国立療養所長島愛生園(岡山県瀬戸内市)に入所する島根県出身者の投稿は県民の心を揺り動かし、行政も一体となった支援活動へと発展。翌4月には島根県藤楓(とうふう)協会が設立され、里帰り事業や療養所訪問などの交流事業、ハンセン病に対する正しい理解の普及・啓発活動を行っている▼療養所に入所する島根出身者は昨年9月段階で7人、平均年齢は88歳に達する。高齢化に新型コロナウイルス禍も加わり、里帰り事業は2015年を最後に途絶えたままだという▼マスクの着用が13日から個人の判断に委ねられるなど、今でこそコロナ対応の緩和が進むものの、発生当初はひどい差別を受け、地域を追われた感染者もいた。かつてのハンセン病患者や家族への対応と重なる▼協会から毎年、「ハンセン病問題啓発カレンダー」が届く。今年は療養所に入所する島根出身者の川柳が、月ごとに掲載されている。<野に咲いて もてはやされる こともなく><忍耐を いつも心に 持ち歩く>。理不尽な対応に、やり場のない怒りを抱えていたのだろう。切なさが募る。ちなみに9月の川柳は<虫の音に 古里思う 長い夜>。残された時間はもう長くない。55年前の一通の投稿の重みを忘れてはなるまい。(健)