静岡県で1966年に一家4人を殺害したとして80年に死刑が確定した袴田巌さんについて、東京高裁は再審開始を認める決定をした。袴田さんが住み込みで働いていたみそ工場のタンク内でみそに漬かっているのが事件の1年2カ月後に見つかり、確定判決で犯行時の着衣とされた「5点の衣類」に付着した血痕の色合いが争点だった。
発見時に血痕が赤みを帯びていた点に着目した弁護側は、血痕のみそ漬け実験をし「数カ月で黒色化し、1年以上で赤みは残らない」と指摘。これは衣類が発見前の短期間しか、みそに漬かっていなかったことを示し、袴田さんが犯行直後に隠したとする確定判決とは矛盾すると主張した。
検察側も実験を基に「1年2カ月が過ぎても、赤みを観察できた」と反論。決定で高裁は「1年以上みそ漬けされた衣類の血痕の赤みが消失するのは専門的知見によって合理的に推測することができる」と述べた。さらに袴田さんがタンクに入れるのは不可能とし「捜査機関の者による可能性が極めて高いと思われる」と判断している。
死刑確定から40年余り。今月、87歳になった袴田さんの再審開始決定を受けて検察が今なすべきは、なおも有罪の維持にこだわり、特別抗告によって不服申し立てをすることではない。これ以上、審理を長引かせず、再審裁判の法廷で真相解明と向き合うべきだ。
66年6月末、みそ製造会社の専務宅が全焼し、一家4人の他殺体が発見された。1カ月余りして袴田さんは逮捕され、取り調べで自白。初公判では否認に転じたものの、静岡地裁は死刑判決を言い渡し、80年12月に最高裁で確定した。
その翌年から27年を費やした第1次再審請求は退けられたが、続く第2次請求で2014年3月、静岡地裁は5点の衣類に残る血痕について弁護側が提出したDNA型鑑定を基に、袴田さんや被害者のものではないとし、再審開始を決定。袴田さんの釈放を認めた。
また血痕の赤みについて「長期間みその中に隠されていたにしては不自然」とした上、証拠捏造(ねつぞう)の疑いにも言及した。
しかし検察側の即時抗告を経て、東京高裁はDNA型鑑定の信用性を否定し、再審開始決定を取り消した。20年12月の最高裁決定は鑑定の信用性については高裁の判断を支持する一方で、血痕の色合いを巡っては審理が尽くされていないとして、高裁に差し戻した。
この決定に裁判官5人のうち2人が「高裁に差し戻すのではなく、検察の抗告を棄却して再審を開始すべきだ」と反対意見を付した。再審開始まで、あと一歩だった。
それから2年余り、ようやく結論が出た。釈放まで半世紀近い拘束の影響で袴田さんは拘禁症状があり、支える姉ひで子さんも90歳。再審請求審が長期化した要因は、検察側が第1次請求で証拠開示を拒み、第2次請求で開始決定に抗告して争い続けたことにある。
そうした中で、再審にも適用される「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が影を潜めてしまったようにさえ見える。今回の決定を機に、警察による過酷な取り調べをはじめ、これまでに指摘されてきた捜査・公判に絡む数々の問題点について丁寧に検証し、再審制度を巡る法整備を拡充するための議論につなげていきたい。