ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で優勝した日本代表・侍ジャパンで、外野守備・走塁コーチを務めた清水雅治さん(58)が1日、出身地の浜田市に野球指導で帰省し、取材に応じた。サヨナラ勝ちを収めた準決勝など激闘の舞台裏を振り返るとともに、浜田の子どもに教える上での思いを語った。
(聞き手は西部本社報道部・宮廻裕樹)
-日本は大リーグ組5人を招集し、国内組も一線級がそろう強力布陣だった。
「シーズン開幕前のWBCへの出場に難色を示す球団も当然あり、栗山英樹監督が熱心に説得に回った。自分は(監督に)カブスの鈴木誠也が欲しいと話をしていて、彼の途中離脱は痛かったが、それでも日の丸を背負う強い覚悟を持った選手が集まり心強かった」
「チーム最年長のダルビッシュ有は豊富な知識や経験を惜しまず後輩に伝え、誰もが頼りにした。優勝の功労者だ。ヌートバーは言葉の壁があり心配していたが、チームに溶け込み、よく引っ張ってくれた」
-大会中は一塁コーチャーを務めた。準決勝のメキシコ戦で九回裏に村上宗隆が放った逆転サヨナラ適時打や、一塁走者の周東佑京の好走塁が記憶に残る。村上はずっと不振だった。
「村上の打席に対するすさまじい集中力を見た時、過去の打席に関係なく打つという雰囲気があった。周東には直前に迷わず『村上は打つ。外野を抜けるから、お前の足なら生還できる』と伝えた。サヨナラのあの瞬間に立ち合えたことは、何よりうれしかった」
-帰国後の記者会見では準々決勝のイタリア戦で、一塁走者の岡本和真に「サインはエンドラン」と誤って伝え、岡本が盗塁死したことが話題になった。
「三塁コーチャーのサインを自分が誤認し、申し訳ないことをしたと試合中に謝った。岡本は周囲に言い訳せず自分をかばってくれたと思う。ミスすると責められがちだが、侍ジャパンはベンチの誰もが声を出し雰囲気がすごく良かった。チーム全体でミスをカバーする姿勢が常にあった」
-昨年4月から母校の浜田高で指導に当たり、今月から小中学生にも教える。
「楽しさを伝える中で、技術向上を図りたい。現代はインターネットでいろんな指導法が紹介され、情報過多でもある。各自に適した助言ができるよう指導者も勉強する必要がある。浜田が野球人口が増える先駆けになれるよう取り組む」
しみず・まさじ 浜田市出身。浜田高から三菱自動車川崎を経て、1988年ドラフト6位で中日に入団。96年に西武に移り、2002年に現役引退。西武、日本ハム、ロッテ、楽天に続き、阪神で21年までコーチを務めた。21年の東京五輪では日本代表の外野守備・走塁コーチとして金メダル獲得に貢献した。