開かれた衆院憲法審査会=4月27日午前
開かれた衆院憲法審査会=4月27日午前

 国民主権、基本的人権の尊重と平和主義を唱えた日本国憲法が1947年5月3日の施行から76年を迎えた。国会の衆参憲法審査会は昨年、衆院が過去最多の24回、参院が2014年と並ぶ最多の12回開催された。戦後日本の支柱である憲法の在り方を巡る国会議論に、引き続き目を光らせねばならない。

 ロシアのウクライナ侵攻をはじめ、国際社会を威嚇し続ける北朝鮮の弾道ミサイル発射、中国の海洋進出と台湾情勢の緊迫化を背景に、自民党が設置を主張する緊急事態条項について議論が加速している。

 現時点では、有事の際に決断を迫られる国会議員の任期延長などに議論が集中しているが、本命は私権の制限だ。

 現行憲法においても、財産権や移動の自由などさまざまな人権の保障に対して「公共の福祉に反しない限り」と、一定の制約を設けている。実際、私たちは、新型コロナウイルスの感染拡大では飲食店などの営業時間変更や出入国の規制、また、東京電力福島第1原発事故の際には、特定地域への立ち入りが原則できなくなるなど、何かしらの私権制限を受けている。

 これが認められるのは、権利を制限するその目的が、ウイルスへの感染を広げないためであったり、身体に大きな被害を受けないためであったりするなど、国民が理解できるような一定の合理性を持つからである。

 翻って、国際情勢や頻発する災害、感染症のリスクなどを踏まえて、国民にとって権利が制限されてもやむを得ないと考えられる「緊急事態」の対象はどのような範囲か、宣言や解除に対して国民の代表である国会をどこまで関与させるか、論点を明確にした上で、与野党で徹底的に議論してほしい。かつ、自由や権利の制限については、極めて抑制的であるべきだ。

 もう一つ、監視しなければならないのは、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有すると規定し、年金や生活保護など、今日の社会保障制度の礎となった25条の「生存権」の形骸化だ。

 終戦後、新しい憲法の制定を事実上主導した連合国軍総司令部(GHQ)の草案に、生存権は盛り込まれていなかった。

 これを提起したのは、広島県出身の経済学者・森戸辰男(1888~1984年)ら、在野の「憲法研究会」のメンバーだった。戦後の貧困にあえぐ民衆の姿を見てあえて入れ込んだ概念が、今なお生活者のよりどころである。

 国家が乗り出してくる私権の制限とは裏腹に、国が積極的に関与すべき国民の生活水準の維持については、行政の「裁量の範囲」を盾にして、ないがしろにされはしないか。年金や生活保護の支給水準の抑制に限らず、在り方について国の関与を強める法案が可決したばかりの地域交通インフラ維持もしかりである。

 高度成長期から続く人口減少と、ヒト・モノ・カネの東京圏一極集中に伴い、生活水準やインフラに格差が生じている山陰両県に生きる私たちこそ、憲法で保障された「生存権」の大切さを日々の暮らしの中でかみしめ、声を上げたい。

 国家と国民の関係の在り方が問われている。憲法改正に向けた議論で、先人が提起した「生存権」の価値が著しく減らないよう各政党の主張を厳しくチェックし、発議された時のより良い判断に備えたい。