香港で大規模な反政府デモを受けて香港国家安全維持法(国安法)が施行されてから3年となった。この間、中国は想像を超える速度で香港の社会統制を強めた。中国は香港の「安定」を成果と誇るが、失ったものの大きさを自覚するべきだ。
英植民地だった香港が中国に返還されてからは26年。1997年7月1日、江沢民国家主席(当時)が返還式典で「一国二制度と香港住民による高度自治の原則を順守し、香港の繁栄を維持する」と宣言したことを忘れてはならない。
香港の憲法である香港基本法5条には「社会主義制度と政策を実施せず、現行の資本主義制度と生活様式を50年間維持する」と約束している。
しかし2020年6月30日の国安法施行後、何が起きたか。デモの発端は、犯罪容疑者を香港から中国本土へ引き渡し可能にする「逃亡犯条例」改正案への反発だったが、香港の政治・社会は一変。一国二制度も高度自治も有名無実化した。
習近平国家主席が求めた「愛国者による香港統治」が金科玉条となり、立法会(議会)は直接選挙枠が削減され、民主派は事実上排除された。
中国に批判的な報道をしてきた蘋果日報は廃刊に追い込まれ、同紙創業者の黎智英氏をはじめ、日本でも知名度がある民主活動家、周庭さんらが次々拘束された(周さんはその後出所)。3月時点で、国家安全に危害を与えたとして逮捕された者は243人に上る。
22年にはデモ鎮圧を主導した警察出身の李家超氏がトップの行政長官に就任。1989年に中国が民主化運動を弾圧した天安門事件後、例年追悼集会が開かれてきたビクトリア公園では今年6月、親中派団体のイベントがとって代わった。教育現場では愛国教育が徹底され、中国本土と同様に天安門事件も教科書の記述から削除され始めた。
返還当時は「中国の香港化」も期待されたが、香港の中国化が加速した。世界は自由と民主主義の劇的な後退という歴史を目の当たりにしている。
表面的にはデモがなくなり、安定したようにも見える。だが、その結果どうなったか。香港では海外への脱出者が続出し、英国への移民だけで14万4千人となった。教員ら公務員の離職者が多く、欠員は1万8千人と10%に上るという。人材流出は深刻だ。
中国にすれば大した人数ではないのかもしれない。だが失ったのは香港人だけではない。「一国二制度」は、もともと台湾の統一を想定して考案された制度だが、香港の惨状を目撃して中国による統一を受け入れようという台湾人はほぼいなくなった。台湾にも香港からの移民が増えた。
台湾独立派の理論的リーダーである台湾中央研究院の呉叡人氏は「なぜ統一が駄目なのか説明不要になった」と変化を振り返る。以前は中国に取り込まれそうな台湾人を説得するために、台湾の成り立ちを踏まえた精緻な理論が必要だった。習指導部下で、香港の「安定」の代償として台湾平和統一の道を事実上失ったことは中国にとり途方もない損失ではないのか。
中国では7月1日、スパイ行為の取り締まりを強化する改正反スパイ法を施行。外国は中国への観光や投資に慎重になる。「国家安全」を旗印に社会統制・監視に突き進む習路線は対外的にも失うものは大きい。