松江市学園南1丁目の金森誠子さん(95)は浜田市内の師範学校に通っていた時、名古屋の工場に学徒動員され戦争で使う飛行機の部品を作った。工場には軍歌を歌いながら歩いて行った。淡々と作業をこなし「米国に勝つ見込みはない」と...
悲しみの夏戦後78年(2) 学徒動員、浜田から名古屋 毎晩空襲があり防空壕へ 松江市・金森誠子さん(95)
残り995文字(全文:1105文字)
続きを読むには会員登録が必要です
無料会員登録(山陰中央新報IDを取得)すると
付きのデジタル記事が月5本まで読める
ニュースレターで最新情報を受け取れる
プレゼント応募や、クーポンが利用できる