78年前、終戦の翌日に人々は何を思い、日本はどのように戦後を歩み出したのだろうか。大切な人を失った悲しみ、国の中の混乱を思っても想像がつかない▼本紙の前身・島根新聞で1945(昭和20)年8月17日付紙面を見ると、トップ記事は「東久邇宮殿下へ/組閣の大命御降下」。敗戦とともに鈴木貫太郎内閣の総辞職を受け、皇族の東久邇宮稔彦王を首相とする新内閣発足への動きを伝えていた。「熱砂に額(ぬかず)く/宮城前國民の〓(示ヘンに寿の旧字体)(いの)り」の見出しで皇居・二重橋前に並ぶ人々も。再興への一歩、国民の姿がうかがえる▼大きな扱いだったのが食糧問題だ。「民族の死活賭ける『國内自給』」として、松江郊外の水田の写真とともに掲載。増産に向けて「自らの食うものは自らの土地に、自らの力で作らねばならぬ事態」と呼びかける。国の基盤となる食料の切迫した状況を思うと、今のありがたさが身に染みる▼戦後、国を挙げて増産が図られたが、食料自給率は低下傾向。2022年度のデータでは、1965年度に73%だったカロリーベースの自給率は38%に下がり、生産額ベースでは58%だ▼78年前の紙面には「仁万の豊漁/鰺(あじ)、いさき、烏賊(いか)など」と、現在の大田市沿岸での漁を伝える記事も。短い文章ながら、命を支える食の重みを感じる。「飽食の時代」と言われて久しい。健康面だけでなく、自給率や将来の在り方からも食に関心を持ちたい。(彦)