大手眼鏡チェーン「パリミキ奥出雲店」(島根県奥出雲町佐白)が、来店客の減少などを理由に31日で閉店する。運営する「パリミキホールディングス」の創業者・多根良尾氏(1905~86年)が出身地に出店して37年、店舗は地域の象徴、誇りとして愛されてきた。住民は閉店を惜しみながら、ふるさとに貢献した多根氏の功績を次世代に伝える。
パリミキは1930年、多根氏が兵庫県姫路市に「正確堂時計店」として創業し、60年に「メガネの三城」に改称して国内外に出店した。現在は、社名が「パリミキホールディングス」に変わり「パリミキ」の店舗名で展開される。
「売れても売れんでもいいから店を出そう」。多根氏の思いから1986年11月、山陰11店舗目として出店したのが仁多店(現・奥出雲店)だった。多根氏は開店前に急逝したが、当時の折り込みチラシには「郷土愛に燃えた前社長(多根良尾氏)の遺志を受継(うけつ)ぎ、誠心誠意、地域に奉仕いたします」と記された。
文字通り店長が祭りに参加し、地域とともに営業を継続。しかし、人口減少や市街地への客の流出で赤字が続き、閉店が決まった。
「奥出雲店は交流の場であり、地域のシンボルだった」と話すのは広島市安芸区の看護師、小川加奈子さん(41)。祖父母の家が近く、小中学生の頃は店舗を訪れて店長と会話し、一緒に雪かきもした。周辺では夏祭りやカラオケ大会もあり、にぎわいの核に店舗があった。
周辺は多根氏の郷土愛をうかがわせる施設が残る。近くの奥出雲多根自然博物館は多根氏が計画し、店舗開店の翌年に完成。化石などをテーマに生命の神秘を伝え、大人から子どもまで年間2万人弱が訪れる。
地元の志学荒神社や公園整備にも当たった。同郷で長年交流のあった博物館の宇田川和義館長(75)は「個人の傲慢でやってはいけない。皆の望むことがやりたい」と住民の願いを形にしようとした多根氏の言葉を思い出す。
来館者に多根氏の思いを伝えている宇田川館長は「店があるから説得力があり、感動を呼んだ」と閉店を惜しみ、「多根氏の純粋な思いを伝えたい」とふるさと振興に取り組むことを誓った。
閉店後の11、12月は、町内の公民館や博物館で週1回程度、アフターサービスを実施する。店舗は解体される予定。
(山本泰平)














