ドラマ「VIVANT」島根ロケに迫る(5)
17日放送の最終話を前に、盛り上がるTBS系ドラマ日曜劇場「VIVANT」。ドラマの福澤克雄監督(59)が島根の熱烈なファンであることは、これまでにも紹介してきたが、福澤さんと島根を強く結びつけたのが、奥出雲多根自然博物館(島根県奥出雲町佐白)館長の宇田川和義さん(75)だ。どんな縁があったのか。宇田川さんに、福澤さんとの出会いや今回のドラマをどう見ているかを聞いた。
(Sデジ編集部・鹿島波子)
「VIVANT」島根ロケに迫る(1)
ドラマ「VIVANT」主人公・乃木のルーツに迫る島根ロケ インタビューでも話題 櫻井家住宅がカギ(Sデジオリジナル記事)
【写真特集】
ドラマ「VIVANT」島根ロケの裏側 櫻井家住宅とロケ当日のオフショット(奥出雲町編)
▽「砂の器」島根ロケを切望
最初の出会いは2003年。福澤監督の勤めるTBSが、松本清張原作のミステリー「砂の器」を中居正広さん主演で再びドラマ化するという話が、奥出雲町合併前の旧仁多町の地域振興課長だった宇田川さんの耳に入った。「砂の器」は原作に仁多町の亀嵩が登場し、1973年に公開された映画でも仁多町内でロケが行われた。宇田川さんは映画撮影当時もエキストラ参加していた。今回は観光振興の担当責任者として「是が非でも撮影に来ていただきたい」とドラマのロケハンが行われていた京都市に単身で直行した。
当時、福澤さんはドラマ制作に関わって10年ほど。宇田川さんもまだ存在は知らなかったが、熱心な行動が制作側を動かし、演出の福澤さんやプロデューサーら主要な制作陣と席を設けてもらえた。元ラガーマンでもある福澤さんとの初対面は「ごつい人で怖かった」。「立ち話だったら受け止めてもらえなかったかもしれない」と対面で話せることを絶好のチャンスと感じ、とにかく熱弁を振るった。福澤さんにとって、島根は行ったことも無い土地で「あまりにも遠いから」と敬遠していたが、宇田川さんの熱意を前向きに受け止め、最終的にロケ地に決定した。

宇田川さんの気持ちだけが先走った行動で快諾を得たが、ドラマの受け入れには人手が必要だった。60~70人の撮影班を迎え入れるに当たり、宇田川さんは、町内の建設業協会や消防団にも声を掛けて協力を取り付けた。実際に撮影班が来たのは真冬の1月。あるシーンでは雪かきを、別シーンでは風景をそろえるために逆に雪を運んでくるなど総出で作業し「ワンカットのために大変な手間と労力をかけていた」と当時を振り返った。それでも、地域住民は、仁多米のおむすびやイノシシ汁を準備し、撮影班を温かくもてなした。
その熱心さが福澤監督にも伝わり、1回だけのはずが、2回目のロケ撮影もあり、地元は物珍しさも相まって撮影班を歓迎した。ドラマが放送されると高視聴率を記録し、ゴールデンウィークには観光客が山のように押し寄せた。亀嵩にある温泉施設「玉峰山荘」は水道がパンクして風呂に入れないという事態まで発生するほど。2004年は、例年より5万人多い18万人の観光客が玉峰山荘を訪れ、町にも大きな波及効果が生まれた。

ロケの時、福澤監督は宇田川さんにこう言った。「日本の田舎の原風景がある。風景がいい」。宇田川さんは「こういう場所は他にはないのだと気付かせてもらえた」と生まれ育って日頃見過ごしていた奥出雲町の価値に改めて気づかされた。それ以来、町でふと見掛けた棚田や川、かやぶき屋根の風景を見て「いい景色だな、今度機会があったらロケハンで紹介したい」と町の隅々まで見るようになったという。
「VIVANT」島根ロケに迫る(2)
ドラマ「VIVANT」乃木家と奥出雲町の櫻井家 つながりと島根ロケの裏側(Sデジオリジナル記事)
▽妥協しないロケハン
初の奥出雲町ロケ以降、福澤監督は映画「私は貝になりたい」(2008年)をはじめ、TBSの単発ドラマ2作品でも演出担当としてロケ地に奥出雲町を選んだ。宇田川さんとはロケハンの度に案内を請い、ドラマが一段落すると再び訪れて、町民が慰労会や交流会を開き、迎えたという。近年は、年に1回以上はプライベートで、他の地域であったロケハンのついでに車でふらっと訪れ、たたら製鉄の櫻井家や絲原家にも毎回あいさつしていた。
その後、「半沢直樹」(2013年、2020年)など数々のヒット作を生み出した福澤監督が集大成と位置づける今作の「VIVANT」では、奥出雲町をドラマの中でも重要な場所と見なし、自ら書いた原作を基にロケを敢行した。

宇田川さんは島根県でのロケが決まった時から、奥出雲町内のロケ候補地の選定から案内まで全てを担った。ロケハンの時、警視庁公安部の野崎(阿部寛)がパトカーで棚田の横を通るシーンでは、...