どう振る舞えばよかったか。先月のこと。神在月の期間だった出雲市大社町は多くの観光客でにぎわっていた。友人と待ち合わせた駐車場で、観光客らしき男性が直径1センチほどの何かをポーンと投げ捨てたのだ。
「今、捨てられましたよね…」。わずかにためらいつつ声をかけると「すみません」。男性はばつが悪そうにそのごみを拾い、出雲大社の方へ歩いて行った。
同じ日、雲南市にいた知人はJR木次線のトロッコ列車奥出雲おろち号のラストランを沿線で見守っていた。知人の右隣に初老の男性、左側に「撮り鉄」と呼ばれるアマチュアカメラマンがずらり。緩やかなカーブの手前から列車の音が聞こえてきたとき、男性が少し身を乗り出すや、撮り鉄の1人がドスを利かせた広島弁で「邪魔なんじゃ、みんなが迷惑するんじゃ」と怒鳴ったという。
一気に場がしらけ、知人はその撮り鉄をにらみつけると、男性に声をかけた。「全然迷惑なんてしてないですからね」。確かに写真としては邪魔だったかもしれないが、見守る分には何の支障もなかったらしい。
知人は、にらんだ様子を動画で撮影されてネット上で拡散されるリスクもあった、と後で思ったという。私の場合も逆ギレされたかもしれず、そっとそのごみを拾うのがベストだったか。正義感が仇(あだ)となる事案も耳にする昨今、間違いなく言えるのは、悪事を働く人が不正解だということだ。(衣)