「ビルボード・トップ100/1958年その4」に著したとおり、この年からビルボードはトップ100からホット100へとネーミングが変更され、それに倣ってタイトルもホット100に。公表チャートも一挙に100位と増えたので、個人的に好きな曲や注目曲を1位から100位までランダムにピックアップしていきたい。
100位「セヴン・リトル・ガールズ・シッティング・イン・ザ・バック・シート」(歌)ポール・エヴァンス
邦題「バック・シートに娘が7人」。エヴァンスはシンガーソングライター(SSW)で、後に他のアーティストにたくさんの曲を提供した人物だが、この曲は「不思議の国のアリス」の作詞者であるボブ・ヒラードと「ジョニー・エンジェル」の作曲者リー・ポックリスの手による。翌年の60年にブライアン・ハイランドが歌って大ヒットする「ビキニ姿のお嬢さん」のヒントになったのが、この「バックシートに娘が7人」ではないかと個人的に訝っている。両曲とも不思議な行動をする少女(達)が題材で、音楽的に共通するのは、女性コーラスの登用、Aメロが終わった直後に女性の声でカウントを数えるかのようなフレーズ、キャッチ―なメロディに両者ともほとんど同じテンポ(BPM122-123)、そして何より両方の作曲者がリー・ポックリスであることなど、妄想するには十分な証拠(?)が揃っている。
99位「イン・ザ・ムード」(演奏)アーニー・フィールズ楽団
この曲のタイトルを聞くと、圧倒的にグレン・ミラー楽団の演奏が頭に浮かぶが、同楽団の時期(39年)とほぼ同時にベニー・グッドマンも演奏。アンドリュー・シスターズやデューク・エリントンも50年代半ばにカバーしている。フィールズの演奏はR&B色が強く、リズムセクション、特にドラムの頑張りに耳が行く。キレのあるフィールズのトロンボーンやサックスも必聴。この曲が鳴り響いたであろう当時のダンスホールを連想してしまうほど、ダンサブルなアレンジだ。
98位「ボンゴ・ロック」(演奏)プレストン・エップス
パーカッションのボンゴの演奏を前面に押し出したインストナンバー。エップスはこの後も「ボンゴ・ボンゴ・ボンゴ」「ボンゴ・シャッフル」「ブルー・ボンゴ」「ボンゴ・ブギ」「ボンゴ・ホップ」「ボンゴ・ロケット」などボンゴに特化したタイトルを次々と発表した。「ボンゴ・ロック」は今聞き直しても結構カッコ良いインストナンバー。ロックンロールの原理原則に則った構成だが、ブラスのフレーズが行進曲(マーチ)を連想させるなど、シンプルな曲をアレンジの巧みさによって聞かせる曲に昇華させている。
97位「ザ・バトル・ヒム・オブ・ザ・リパブリック」(歌)モルモン・タバナクル合唱団
邦題「リパブリック讃歌」。元々は南北戦争の北軍の行進曲(マーチ)。59年に公開された映画「5つの銅貨」の挿入歌として歌われ、ビルボードのチャートに載るほどヒットした。この曲には洋の東西を問わず、替え歌がたくさん存在していて、我が国でも「ごんべえさんの赤ちゃん」「おたまじゃくしはカエルの子」「おはぎがお嫁に行くときは」「友達讃歌」「ヨ〇〇シカメラの歌」など枚挙に暇がないが、どの替え歌もヒットチャートに登場したことはない。
96位「テイク・ア・メッセージ・トゥ・メアリー」(歌)エヴァリー・ブラザーズ、
95位「ベイビー・トーク」(歌)ジャン&ディーン
元々は白人のドゥワップグループ、ローレルズの持ち歌だったが、サーフィン&ホットロッドの立役者の一グループ、ジャン&ディーンがカバーしてピークで10位になるほどヒットした。両者を聞き比べてみると、脱力の際立つボーカル(プラスに作用)、工夫のあるコーラス、装飾しすぎない演奏などといった点で差がある。正直なところ、プロとアマくらいの違いがあるように聞こえるのだが…
94位「モルゲン」(歌)イヴォ・ロビッチ、93位「マイ・ウィッシュ・ケイム・トゥルー」(歌)エルヴィス・プレスリー、92位「キッシン・タイム」(歌)ボビー・ライデル、91位「ユア・ソゥ・ファイン」(歌)ファルコンズ、90位「ザッツ・ホワイ(アイ・ラヴ・ユー・ソゥ)」(歌)ジャッキー・ウイルソン、89位「シー・クルーズ」(歌)フランキー・フォード、88位「ハートエイクス・バイ・ザ・ナンバー」(歌)ガイ・ミッチェル、87位「エンドレスリー」(歌)ブルック・ベントン
86位「マンハッタン・スピリチュアル」(演奏)レグ・オーウェン楽団
英国の編曲者、指揮者だったレグ・オーウェンのオーケストラによる演奏。アフタービートにハンドクラップなどR&Bの要素を取り入れた陽気な曲で、99位「イン・ザ・ムード」と同様、ドラムのテクニックが存分に活かされたアレンジが心地良い。
85位「グッバイ・ジミー・グッバイ」(歌)キャシー・リンデン
84位「イット・ワズ・アイ」(歌)スキップ&フリップ
スキップの本名は、クライド・バッティンと言い、60年代に活躍するバーズのベーシストとなる人物。一方のフリップはゲイリー・パクストンが本名で後に音楽プロデューサーとして名を上げた。「イット・ワズ・アイ」はこの両者によって作られた曲。ポップな雰囲気を全面に出したナンバーで、この曲をもって後のバーズのサウンドを想像することは全く不可能。
83位「スイーター・ザン・ユー」(歌)リッキー・ネルソン
58年には4曲を100位までのチャートに送り込み、59年も同様に4曲がチャートイン。この頃がネルソンの絶頂期だったとも言える。「スイーター・ザン・ユー」の他に、78位「ジャスト・ア・リトル・トゥ・マッチ」、74位「イッツ・レイト」、42位「ネヴァー・ビー・エニワン・エルス・バット・ユ-」と続くが、この83位の曲は、ネルソンのボーカルの他はアコースティックギターの伴奏とコーラスのみのシンプルな演奏で、後にカントリーにのめり込んでいくネルソンの片鱗を垣間見ることのできる曲。
82位「ア・ボーイ・ウィズアウト・ア・ガール」(歌)フランキー・アヴァロン
アヴァロンも58年には3曲、59年に4曲をホット100に送り込んでいる。アヴァロンもリッキー・ネルソンも共に40年の生まれだが、音楽シーンへの関わり方には若干違いがある。両者とも幼い頃にTVショーに出演したことが切掛けでショービジネスの世界に入った。アヴァロンはアイドル的な活躍、ネルソンはロカビリーシンガーとして50年代後半を駆け抜けた。「ア・ボーイ・ウィズアウト・ア・ガール」はイントロなしにいきなり歌い出すのが、ある意味斬新と言える。
81位「スリー・スターズ」(歌)トミー・ディー& キャロル・ケイ
トミー・ディーはカントリーシンガー。そのディーが59年2月に飛行機事故でこの世を去った3人のアーティストを追悼して歌った曲。3人とは、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーのこと。バディー・ホリーは言わずもがなのロックンロールのスター。リッチー・ヴァレンスはメキシコ人グループが演奏するロック、チカーノの先駆者で「ラ・バンバ」のアレンジで後世に名を残した人物。ビッグ・ボッパーは本名ジャイルズ・ペリーと言い、ディスクジョッキーとしても人気のあったアーティストだった。その3人のスターについて、歌うというよりは弔辞を述べたようなナンバーが「スリー・スターズ」。なお、ディーとともにキャロル・ケイという女性がシンガーとしてクレジットされているが、後にレッキング・クルーのベーシストとして伝説になった女性アーティストとは同名異人。
(その2に続く)
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