焼け焦げた日航機=3日午前8時10分、羽田空港(共同通信社ヘリから)
焼け焦げた日航機=3日午前8時10分、羽田空港(共同通信社ヘリから)
焼け焦げた日航機=3日午前8時10分、羽田空港(共同通信社ヘリから)

 東京・羽田空港の滑走路で、日本航空の旅客機が着陸時に海上保安庁の航空機と衝突し、両機とも炎上した。子ども8人を含む乗客乗員379人を乗せ、新千歳空港から到着した日航機は衝突後、炎と煙に包まれながら、1キロほど滑走路を走行して止まり、乗客らは全員が脱出シューターを使って機外に避難。15人が体調不良などを訴えた。

 海保機は能登半島地震の被災者支援のため、水や食料などの物資を積み新潟航空基地へ向かおうとしていた。男性6人が搭乗。うち5人が死亡し、自力脱出した機長1人が重傷を負った。国内の空港で、これほど大きな衝突事故が起きたのは聞いたことがないと専門家らは口をそろえる。通常、あり得ない事故だ。

 滑走路への進入については国土交通省航空局の航空管制官が指示を出し、パイロットは指示の内容を復唱して従う。2機が同時に滑走路に進入することがないようにしている。では、なぜ事故は起きたのか。いずれかのパイロットが指示を聞き違えたのか。運輸安全委員会などの調査では、管制官とパイロットとのやりとりが焦点となる。

 日没後の滑走路から激しく噴き上がるオレンジ色の炎に空港内はもとより、お茶の間でも多くの人たちがテレビの映像に目を奪われ、衝撃と不安が広がった。年始のUターンラッシュがピークを迎えている中、徹底した原因究明と再発防止を急ぐことが求められる。

 旅客機の着陸時に、機内では「ボン」と何かにぶつかったような衝撃を感じ、窓の外に炎が見えたと思うと、煙や熱気が充満し始めた。「落ち着いてください」というアナウンスが流れ、乗客らは乗員から鼻と口をふさぐよう指示を受け、互いに励まし合いながら脱出シューターへとたどり着いた。子どもが泣き叫ぶ声も聞こえたという。

 この事故を報じた米英の主要メディアは全員脱出を「奇跡」と伝え、乗員による避難誘導、さらに乗客が荷物を持たずに機外に出たことなどを「お手本のような対応」と称賛している。

 普段の脱出訓練が生き、乗客に犠牲者が出なかったことはせめてもの救いだ。だが、あり得ない事故が起き、海保側に死者が出たのは極めて重く受け止める必要がある。

 国交省航空局と海保は記者会見で、管制官と日航、海保両機のやりとりについては「確認中」とし、機長から「滑走路上で爆発して脱出した。他の乗員は不明」と連絡があったと明らかにした。日航も会見し、避難完了は衝突から十数分後と説明。航行中に機体の異常はなかったとした上で「着陸許可が出ていたと認識している」と述べた。運輸安全委は航空事故調査官6人を衝突炎上現場に派遣した。警視庁は業務上過失致死傷の疑いで捜査を進めている。

 海外では、1977年に大西洋のカナリア諸島の空港で濃霧の中、離陸しようとしたジャンボ機2機が滑走路上で衝突し、双方合わせて583人が死亡するという史上最悪の事故が起きた。一方のパイロットが混信のため管制官の指示を正確に聞き取れず、もう一方は滑走路を離れるのが遅れてしまったとされる。

 今回は迅速な避難誘導で日航機側は全員無事だったが、もし燃料タンクが損傷していたなら大きな爆発が起き、大惨事になっていた可能性があることを忘れてはならない。