戦前版(左)と戦後版の隠岐島全図=島根県隠岐の島町久見、久見竹島歴史館
戦前版(左)と戦後版の隠岐島全図=島根県隠岐の島町久見、久見竹島歴史館

 戦前と戦後にそれぞれ隠岐観光協会が監修した「最新版 隠岐島全図」の複写版の展示が5日、島根県隠岐の島町下西の町役場と同町久見の久見竹島歴史館で始まった。いずれも竹島の表記があり、終戦を挟んでも、一貫して竹島が隠岐の一部だったという事実を示している。

 15万分の1の縮尺で、旧西郷町で出版業を手がけていた隠岐堂が発行した。

 1936年から45年までの間に発行されたとみられる戦前版の位置略図には「竹島ハ隠岐島ヲ距ル西北八十五浬」と記してある。

 終戦後の50年代に制作されたとみられる版には「竹島ハ隠岐島ニ所属シ」と記され、主権に関わる記載が明確になっている。このほか、航路の寄港地が現在よりも多いなど、時代背景を読み取ることができる。

 地図は島根県立大の下條正男客員教授の所蔵。日本国際問題研究所(東京都)が高画質のスキャナーで読み取り、複製した。

 複写の提供を受けた町竹島対策室が、町民や来島者に啓発しようと、2カ所に掲示を始めた。下條客員教授は「住民の方々に昔の隠岐がどうだったかを話題にしてほしい」と話している。展示は9月30日まで。(鎌田剛)