避難所となっている石川県珠洲市立三崎中の体育館で暖を取る人たち=2月29日
避難所となっている石川県珠洲市立三崎中の体育館で暖を取る人たち=2月29日

 能登半島地震の発生から2カ月がたった。今も1万人以上が避難生活を送る一方で、仮設住宅の入居も始まった。避難や住まいの形態が多様化し、複雑になってきた。被災者が移動を重ねても支援を継続し、地元とのつながりを維持できるような方向性が求められる。

 石川県によれば、被災した市町に2月29日時点で約220カ所の避難所(1次避難所)があり、約5800人が暮らす。プレハブ型仮設に入った人もいれば、被害を受けた自宅に住み続ける「在宅被災者」もいる。

 被災地の外に出た人も多い。孤立集落の住民らを受け入れたホテル・旅館などの「2次避難所」、2次避難所に移るまでの一時的な「1・5次避難所」に計約4900人が身を寄せる。

 民間住宅を行政が借り上げる「みなし仮設」は約2千戸が契約済みだが、2次避難所同様、被災地から離れており、支援が届きにくい。

 石川県はそれぞれの被災状況や避難先、配慮が必要な持病などをそろえたデータベースを整備する。きめ細かい支援ができるかどうかは、この土台づくりが重要になる。

 能登半島北部は住民の助け合いが強い地域だった。分散した住民の孤独やコミュニティーの分断が危惧される。地元とのつながりを保てるよう、復旧状況などの情報提供が欠かせない。

 真冬だった発生直後ほどではないが、厳しい寒さが続く。長い避難生活の疲労やストレスで体調を崩して亡くなる「災害関連死」の対策も引き続き求められる。

 2011年の東日本大震災や16年の熊本地震では、関連死の約8割が3カ月以内に発生した。関連死は避難所だけでなく、自宅でも生じる。ただ、能登半島地震でも在宅被災者の把握は容易ではない。自治体によって全戸訪問で確認しているかどうかは分かれる。対応強化が必要だ。

 宿泊施設が多い2次避難所で暮らす人の間で不安が高まっている。北陸新幹線の金沢―敦賀間開業が3月16日に迫り、観光客を受け入れる施設にいつまで滞在できるのかと戸惑いを見せる。

 移動先の候補として仮設住宅などが示されたが、土地の制約上、用意できる戸数を希望件数が大幅に上回っている。東日本大震災で宮城県女川町にできた3階建て仮設も参考に、戸数増加に努めてほしい。地元に近い場所を提供することが人口流出防止にもなる。

 注目したいのが、市街地や集落の空き地に長屋型や一戸建ての木造仮設住宅を建てる石川県の構想だ。プレハブ型より工期はかかるが、将来撤去する必要がない。原則2年の入居期間終了後は、公営住宅への転用や払い下げもできる。古里に戻りたい、でも自宅の再建は資金的に難しい―。そんな高齢者の希望に沿える可能性がある。

 元の土地に近いことで片付けや農作業などが進む。住み慣れた環境に戻ることが、心身に良い影響をもたらす。戻れるという道筋を示すことで、高齢者らの不安を払拭していきたい。

 04年の新潟県中越地震で全村避難した旧山古志村は、避難所も仮設住宅も集落ごとにまとまり、復興に向けた話し合いが進んだ。能登半島地震はまだ、復興の担い手である住民が広域に分散したままだ。地域の将来を話し合う場を意識してつくる必要がある。