私たちは往々にして「普通」なる概念と無自覚に同化している。自分自身はその言葉の傘の陰に隠れ、責任を問われない安全な場所から他者にべたべたと触れている鈍さに気づこうとしない。

 今村夏子の小説が不穏なのは、「普通」のフレームに収められたものの面妖さが思いがけないタイミングでころがり出てくるからだ。中編「良夫婦」(「群像」7月号)では、「ごくごく普通」にみえた...