益田市匹見町道川地区の風景。田んぼは水が張られ、苗植えの準備ができていた=5月13日
益田市匹見町道川地区の風景。田んぼは水が張られ、苗植えの準備ができていた=5月13日

 <中山間地域をテーマに連載企画を担当することになった。里山を守る意義は分かっているつもりだったが、門前町で育ったせいか、認識不足か、企画会議を重ねても、もう一つモチベーションが上がらない。見かねた上司の指令で益田市匹見町へ向かった>

 2009年6月に書いた記者コラムの一節。上司が選んだのは「過疎発祥の地」と呼ばれた町だった。<7550人だった人口は50年で1550人になり、生活インフラは十分とはいえず娯楽施設もない>町だが<集落を守り、盛り上げようと動く人たちはせわしげで人生を楽しんでいた>と続けた。

 集落の住民全員で運営する株式会社、豪農屋敷で提供するオール産地品の会席膳、清流にさらしてあく抜きする伝統のとち餅…。同年秋に始めた連載企画で、その地でずっと培ってきたものに新たな価値を見いだす人や動きを「ふるさとの進化」として紹介した。

 先月、15年ぶりに匹見を訪れた。人口は843人に減ったが、細る数を補う力が紡ぐ、変わらぬ風景があった。きょうのオピニオン面のコラム「風速計」でも触れている。

 <ある人は子どもたちに伝えなければいけないモノが田舎では見つけやすいと言った。モノとは何か。なぜ見つけやすいのか。もっとずっと見つけにくくなったら…。書きたいことはたくさんあった>。15年前のコラムの文末。むしろ今、書きたいことは増えていた。(衣)