海岸に漂着したごみを拾い集める人たち=5月30日、出雲市外園町
海岸に漂着したごみを拾い集める人たち=5月30日、出雲市外園町

 民俗学者の柳田国男が1898年夏、愛知県の伊良湖岬で見た海辺の情景を友人で作家・詩人の島崎藤村に伝えた。藤村はそれを詩にした。<名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子(やし)の実一つ…>。最後は<思ひやる八重の汐々(しおじお) いづれの日にか国に帰らん>と結び、望郷の念を美しく表した。

 126年後の今は流れ寄るものにげんなりする。ペットボトルやプラスチック片などだ。海水浴シーズン前に各地で海岸清掃があり、大型ごみ袋数十枚分が1時間で満杯になったという新聞記事を読むと、参加者の汗とは別に暗い気持ちになる。

 昔は水の汚染といえば、工場や家庭の廃水が問題だった。家庭では食器を洗う前に古い布や紙で汚れを拭き取り、流しかごに古い靴下をかぶせ、ごみの流出を防ぐことが推奨された。加害者意識も手伝い、今も極力努めている。

 だが、2010年代からの海洋プラスチックごみの著しい増大は「あなたが出したプラごみも原因の一つ」と言われても、実感が薄い。根本的な解決策は便利なプラの量を減らすことだが、世界でともに歩めるだろうか。

 松江市の大橋川沿いを徒歩で通勤中、カモが川面で捨てられた合成繊維の釣り糸に絡まり、もがいていた。大声で通りがかりの漁の舟を呼んで助けてもらった。よくあるケースらしい。不格好なカモがあまりに衝撃的で、この問題の根深さと人の営みの残酷さを見せつけられた。(板)