子どもたちに向けて戦争体験を語る地元住民(右)=2月22日、松江市美保関町下宇部尾、美保関公民館(美保関公民館提供)
子どもたちに向けて戦争体験を語る地元住民(右)=2月22日、松江市美保関町下宇部尾、美保関公民館(美保関公民館提供)

 太平洋戦争で松江市美保関町が戦場になっていた歴史を伝えようと、町内の戦争体験者が地元の小中学生に当時の様子を語っている。子どもたちが今の暮らしとの違いを実感し、平和の尊さを考えるきっかけになっており、体験者は伝える意義を再認識している。

 太平洋戦争時、日本海に面する港町の美保関町は、本土決戦のための水中特攻基地が造られた。船の物資輸送を妨害する機雷が落とされ、犠牲者が多く出た。

 昨年から美保関公民館の友森勉館長が中心となり、地域の戦争の歴史を学ぶ平和学習を実施。美保関小、中学校の児童生徒が戦争体験者の話を聞いている。

 中学2年のときに教師から指名されて海軍兵学校に入った川本久二さんは、乗っていた駆逐艦が機雷爆発の衝撃を受け、修理のため出陣予定だった沖縄特攻を免れて命拾いした体験を語った。「いいか、おまえたちと同じ年齢の頃だぞ」と訴えかけた。

 子どもたちは「戦争時に生まれていれば兵隊になっていたと思うと怖く感じた」「第2次大戦は広島や長崎、東京の話だと思っていたが、捉え方が変わった」などの感想をつづり、平和の尊さをかみしめた。

 今年の平和学習の直前に川本さんが93歳で亡くなったが、代わりに戦争を体験した6人が食べ物がなく、学校に通えなかった当時を小中学生73人に語った。

 美保関町七類の作野広秋さん(87)は、七類の輸送船が攻撃され、けが人が担架で運ばれるのを見たと証言。同町片江の渋谷俊弘さん(87)は小学生のころ、片江の見張り所で米軍の爆撃機が来ると空襲警報のサイレンを鳴らしてもらうため、訳も分からず公会堂まで一生懸命走った体験を語った。

 渋谷さんは、平和を考える子どもたちの感想文を読み「伝えられてよかった」と振り返る。小さい頃の記憶を伝える作業は重要とし「平和な今とは違う時代を生きていた歴史を伝え、二度と戦争が起こらないようにしたい」と願った。 (小引久実)