「最強横綱は誰か」という不毛な居酒屋談議は、ボクシングのムハマド・アリとマイク・タイソンが全盛期に闘えば、どちらが勝つかという話と同じく楽しい。世代的に千代の富士を推したいが…
不毛ついでに、大横綱や偉大な世界王者が現れた背景も重要だ。軽量の千代の富士は四つに組み合ってからの勝負が多かった時代、前みつを取っての速攻で番付を駆け上がった。アリは大男の殴り合いだったヘビー級で機敏さと技術で圧倒。タイソンは防御と猛獣のような踏み込みでKO勝ちを重ねた。
速さが相手の力を封じ、異質性で優位に立った事例である。「力には速さ」なら「速さには力」も成り立つ。千代の富士は全盛期、怪力の隆の里、双羽黒の両横綱によく星を落とした。隆の里がもう少し若く、双羽黒の廃業がなければ相撲史も違ったはずだ。
各時代で主流とは逆の発想や戦い方をすれば勝てるのかという話になる。でも負けが込む苦しい時期は当然ある。惑う中で「信は力なり」を貫くのは容易でない。
囲碁で一時代を築いた趙治勲名誉名人(韓国出身)は「勝てたのは運」と述べた。控えめだが本心かもしれない。碁には実利(速度)と厚み(勢力)の概念があり、趙氏は実利派の巨匠。日本の伝統の中で時に棋風が批判された。棋風確立の過程で落とせぬ一番があったのではなかろうか。各界の第一人者の小さなきっかけに好奇心をそそられる。(板)