周辺の物々しい雰囲気を今も覚えている。喪服の大人たち、要人警護のSPや警官隊の間を通り、中学校から帰った。2000年7月29日、静かな田舎町の島根県掛合町(現雲南市)の町民体育館などに森喜朗首相や大物政治家ら4千人が集結し、竹下登元首相の葬儀が営まれた▼掛合町生まれの筆者にとって「竹下さん」はごく当たり前にあった。実家から坂道を少し上れば生家の酒蔵がある。会ったことはないのに一方的に親しみを持っていた▼存在の大きさは東京・永田町で記者として働く中で鮮明になった。島根出身と話すと、山陰以外の国会議員でも「登先生は~」と逸話を教えてくれた▼弟の亘衆院議員が政界引退を発表した。竹下派復活を巡る駆け引き、総裁選の政治的攻防などの局面を番記者として間近で取材した分、体調が安定しない最近の様子を気にしていたが、「その時」は思ったより早く来た。ぶら下がり取材で近づくと、一言目はいつも「お疲れさん」。質問に必要以上は語らず言葉は一つ一つ強い。でも時折緊張を解き笑いかけてくれた▼「もう投票で竹下と書かないのか」と寂しげにこぼす支援者がいたと聞き、はっとした。60年以上続いた竹下ブランドが終わり、ついに時代が変わる。県内では後継選びが動きだした。2人の「竹下さん」が唱えたふるさと創生を受け継ぐのは誰か。県民だけでなく永田町も注目している。(築)