「善ちゃん、遊ぼう」。声をかけると、兄や弟は応じて外に飛び出すのに、肝心の「善ちゃん」は家の中に残って、本を読んでいた。
「善ちゃん」とは、20日に死去した溝口善兵衛前島根県知事。幼なじみで元文藝春秋編集者の高橋一清さんの回顧である。高橋さんによると、「善ちゃん」は決して引っ込み思案というわけではなく、終戦間もない地域社会では希少だった「子ども会」に参画し、清掃活動をするなど活発な一面もあったという。
昭和30年代に池田勇人内閣が本格化させた「国民所得倍増計画」に触発され、益田高校から東京大経済学部、大蔵省(現財務省)に進んだのは周知の通り。退官し、帰郷した後も「経済知事」として期待されたが、足跡を残したのは「教育知事」としての側面ではなかったかと思う。
最たるものは、学校図書館の改善だ。2期目の2013年度に県内全小中学校や県立高校、特別支援学校に有償ボランティアを含む学校司書を配置。「人がいる図書館」に変わっていった。読み・書き・そろばんを支えるのは読書、さらに「水先案内人」が必要との信念があった。
知事を退いて5年。学びの環境は変化している。読書や調べ学習のツールはスマホやタブレット、レファレンス(調査・相談)はチャットGPTが常識になりつつある。ただ、本や人に影響を受けない人生はむなしい。託された遺産を、しかと受け継ぎたい。(万)