広島への原爆投下直後に放射性物質を含む「黒い雨」を浴び健康被害を受けたと訴えた住民84人全員を「被爆者」と認め、被爆者健康手帳の交付を命じた広島高裁判決について、菅義偉首相は上告断念を表明した。国から手帳交付事務を委託されているため、被告の立場にある広島県と広島市が厚生労働省に上告しないよう求めていた。

 高裁判決は一審広島地裁判決に続いて、被爆者認定には放射線の影響を受けたという科学的・合理的な根拠が必要とする援護行政の根本を真っ向から批判。特定の病気を発症しているかどうかにかかわらず、健康被害を否定できないなら、被爆者と認めるべきだと踏み込んだ判断を示した。

 被爆地の不安と苦悩に寄り添った司法判断が確定することにより、救済対象は大きく広がることになる。長崎でも原爆投下時に国の指定地域外にいたため被爆者と認められていない「被爆体験者」らが、やはり手帳の交付を求め訴訟を重ねるなど援護対象の拡大を訴える声が高まっている。その追い風にもなろう。

 菅首相は黒い雨訴訟の原告全員に直ちに手帳を交付すると述べた。終戦から76年。高齢化が進む中、長年の懸案だった救済拡大に道が開かれた。原爆投下を巡り、戦争を遂行した国がその責任において救済を図るという被爆者援護法の理念に立ち返り、援護行政の検証と拡充につなげたい。

 国は原爆投下時に広島市内の爆心地周辺にいた人のほか、当時の気象台による調査で黒い雨が1時間以上降り続いたとされる「特例区域」にいて雨に打たれ、健康診断の結果、がんなど放射線に起因するとみられる11の病気を発症していた人を被爆者と認定し、被爆者健康手帳を交付。医療費の自己負担をなくし、健康管理手当をはじめ各種手当も支給している。

 黒い雨訴訟の原告らは特例区域外にいたため、被爆者と認められなかった。昨年7月の広島地裁判決は黒い雨を浴び、一定の病気にかかっていれば被爆者と認めるべきだと判断。今月の広島高裁判決は認定要件を巡り「放射能による健康被害が否定できないことを立証すれば足りる」とし「たとえ黒い雨に打たれなくても、内部被ばくによる健康被害を受ける可能性があった」と述べた。

 国は健康被害が出るほど放射能の影響を受けたことを科学的・合理的に立証できなければ被爆者と認められないと主張したが、地裁は「これまで黒い雨の降った地区が被爆地域などに指定された際、放射線量などが具体的に問われなかったのに、本件訴訟でのみ、放射線量などの特定が困難なことを殊更重視するのは相当でない」とした。

 また高裁は特例区域について「本来は被爆者手帳を交付すべきだったのに、あえて健康診断を要件とした疑いが強いと言わざるを得ない」と指摘している。地裁、高裁とも、原爆投下で生じた健康被害が他の戦争被害とは異なる「特殊な被害」であることに着目して制定され、その根底に国家補償的配慮がある援護法の理念を重視した。

 首相は「同じような事情の方については、救済について早急に検討していきたい」とした。援護行政を巡る裁判所からの批判も真摯(しんし)に受け止めた上で速やかな救済に取り組むのはもちろん、被害の詳細な実態調査もこれからの課題となろう。