先日、知人の葬儀に参列した。感覚では「参列」ではなく「立ち寄り」に近かった。コロナ禍で初めての葬儀だったが、あまりの変容ぶりに驚いた▼松江市郊外にある葬祭会館で行われた一般会葬は「流れ焼香」で執り行われた。受付で香典を渡し、祭壇の前へ案内された。仏式の葬儀で立派な祭壇や供花はコロナ前と同じ。僧侶の姿はなく広い空間の中、一人で遺影を前に手を合わせ、10分足らずで会館を後にした▼「『焼香だけして帰る』『清めの膳は無し』という葬儀が東京をはじめ全国的に急増している」と話すのは、終活情報誌『ソナエ』の赤堀正卓編集長(53)。「家族葬が増えるなど葬儀は元々縮小傾向にあったが、コロナはそれを一気に推し進めてしまった。縁ある人たちが故人をしのんだり、家族や親族が絆を深めたりといった機会が失われているという声も聞く」と指摘する▼コロナ感染の「第5波」が襲う中、葬儀による「3密」で感染が広がってはならない。今の流れ焼香は、遺族による参列者への厚い配慮として受け止めたい▼その上で考えたいのが収束後の弔いだ。故人との別れを意識できず、今もまだ生きているかのような錯覚にさいなまれる。法事や盆礼も簡略化や見送りが当たり前になると、墓参りの習慣も薄れてしまう。そうなると、古里を離れた人との距離が遠のく懸念がある。疫病で変化した習慣を取り戻したい。(釜)