「三浦龍司ならきっとやってくれる」。そう信じて2日の夜、国立競技場に向かった。決勝で7位入賞を果たしたのを記者席で見届けると、自分のことのようにうれしくなり、大きな拍手を送った。
初めて三浦に会ったのは、順大に出向いて取材をした昨年11月。当時はあどけなさが残っていたが、丁寧な取材対応が印象に残った。本人は「性格は大ざっぱ、適当と言われる」と話すが、一つ一つの質問にはっきりと答えてくれる好青年だった。
今年4月の織田記念国際ではオンライン取材だったが、顔つきは貫禄を感じさせるトップアスリートのものに変わっていた。その後、3回にわたり日本記録を更新した三浦。「どちらかというとポジティブに捉えることができる。競技で何かうまくいかなくても引きずったりすることはあまりない」。この前向きな姿勢が、日本陸上界の歴史を塗り替える快走につながったのだろう。
三浦は今年、「原点回帰のため」に登録都道府県を京都府から島根県に変えた。今後、都道府県対抗駅伝や国民体育大会などのレースに出場する機会があるかもしれない。三浦の実績や人柄は、島根の陸上界にとって大きなプラスになるはずだ。 (藤原康平)