あるプロ野球チームの本拠地でボールボーイをしていた学生時代。試合で何度か、ビジター球団の一員として乗り込んできた若きスター選手のバットを引いた。
「鈴木一朗」が「イチロー」になり、210安打を重ねた1994年シーズン。片やアルバイト。片やプロ、それも球界の花形。比べるべくもない。ただ素質も環境も違うものの、同じ時代に白球を追った元球児という変な意地があり、憧れの目は向けなかった。
ある試合で珍しくバットが折れ、それを届けたバイト仲間が、打撃用の手袋をプレゼントされたことを今でも覚えている。実際はうらやましかったのだ。日米で野球殿堂入りを果たした彼の偉大な記録や足跡があらためてメディアをにぎわせる中、あの時感じた距離のことをよく考える。
人生の舞台も、登る山の頂も違う。その後もちろん差は広がるばかりだったが、「縮まった」と思えるものがある。節目節目で彼が発してきた言葉だ。例えば「小さなことを重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道」。米大リーグの年間最多安打記録を塗り替えた、2004年に残した。
その当時は気が遠くなるだけだったが、中身はともかく同じだけの年月を重ねてきた。脚光を浴びる舞台ではなくても、置かれた場所でもがき、それでも前に進んでいく。含蓄は、受け手が気付いて初めて染みる。そういう楽しみが、人生にはある。(吉)