東京都内のとある駅。早朝の通勤ラッシュに向かいマイクを持つ若者がいた。13日告示の都議選に新人として挑戦するらしい。昔ながらの辻(つじ)立ち演説。真剣に政治改革を訴える姿に大切なものを見る気がした。
というのも、昨年7月の都知事選で選挙掲示板にペットなどの写真が並んだ非常識な光景が記憶に残っていたからだ。選挙の「常識」はぐらついた。11月の兵庫県知事選では交流サイト(SNS)に真偽不明の情報が拡散。別の候補者の当選を促す「2馬力」の立候補者まで現れた。
国会は偽情報拡散は民主主義の危機として、選挙ポスターに「品位」を求める改正公選法を成立させた。鳥取県でも先手を打って2馬力対策が打ち出されたが、「常識に照らせば分かりそうなこと」まで規制が必要な風潮には違和感がある。
ここで問題となるのが「常識」の判別だ。「ペット写真が駄目なのは常識」と言うしかないが、必要な品位を問われても「表現の自由」や「政治活動の自由」との間であいまいさは残る。第一、選ばれる側が政治不信の原因をつくっていれば「何でもあり」の流れは止められない。
若者がネットに依存し過ぎるというが、通り過ぎる選挙カーを見送るだけでは分からない候補者の肉声を、ネットで探したくなる気持ちも分かる。民主主義を損なう「常識の揺らぎ」に眉をひそめる前に、政治家が肉声で「良識」を示す方が先だろう。(裕)