1996年9月、ヤクルトに押し出し四球でサヨナラ勝ち、歓声を上げる巨人の長嶋茂雄監督(右)と松井秀喜選手=東京ドーム
1996年9月、ヤクルトに押し出し四球でサヨナラ勝ち、歓声を上げる巨人の長嶋茂雄監督(右)と松井秀喜選手=東京ドーム

 野球少年だった小学生時代、巨人の松井秀喜選手が憧れの存在だった。野球を始めた1993年に松井さんがプロ入り。1年目から毎シーズンのように本塁打数を増やし、スター街道を歩む姿に魅了された。

 その成長の裏には監督だった長嶋茂雄さんとの運命的な出会いがあった。松井さんは、長嶋さんの告別式で弔辞を読み、「4番千日計画」を掲げた長嶋さんと二人三脚で練習した日々を回顧していた。

 「監督、きょうは素振りないですよね」と語りかけ「監督を退任する日、私は最後の素振りだと思って、振っている途中、涙が止まりませんでした」と回想。そしてこう続けた。「最後だと思っていましたが、翌日もやりましたね。次の年も次の年もやりました。私は長嶋茂雄から逃げられません。それが私の幸せです」。

 松井さんが大リーグ挑戦後は、長嶋さんがニューヨークに駆け付け、ホテルに呼んで素振りをさせたこともあったという。深い信頼と尊敬の上に成り立った師弟関係に感銘を受けた。結果を出すことで絆は強固になったのだろう。人間関係が希薄化する現代で、後世に伝えたい。

 こちらの師弟関係はどうか。田中角栄元首相と石破茂首相のことである。53年前のきょうは、師が日本列島改造論を発表した日。石破首相は令和の日本列島改造論として地方創生の推進に意欲を示し続ける。後世に語り継がれるには結果を出すしかない。(吏)