出雲市に暮らす母と娘の話。母は心臓が悪く、結婚も子どもも諦めろと言われていたが、恋をして、求婚を受け入れ「どうしても欲しい」と命懸けで娘を産んだ。
その大切な一人娘は夫に似てとても活発。高校時代は野球部のマネジャーに生徒会副会長、障害児施設でボランティア…。ところが福祉の道を目指し大学に合格した直後、輪禍に遭った。生死をさまよい命は取り留めたものの左半身のまひと高次脳機能障害を負った。夫は娘の事故から5年後、病気で死去。母は、娘のために患者・家族会の代表に就き、活動と介護に励んだ。
ただ、3度の手術を重ねた心臓は限界だった。加齢も手伝い、娘は5年前に施設へ。電話で「お母さん、帰りたい」と懇願されるも「頑張って」となだめ続ける日々。ある日「帰りたい」が「死にたい」に変わり、再び奮起した。24時間介護サービスの手はずを整え、7月から再び一緒に暮らす。
2人は7日付本紙に掲載された佐藤登志子さん(78)と真智子さん(53)。言葉が随分と出づらくなった娘と母の会話はゆっくりだ。「いつもありがとう」と娘が言えば「これからも頑張ろうね」と母。「お互いにね」と娘。何の打算もない真っすぐなやりとりは、「死に損なって底まで行った人間同士だからってところがある」と登志子さん。
母と娘であり同志でもある2人の諦めない気持ちが作用し合い、場を明るくしていた。(衣)













