満員の列車。ドカンという音と閃光(せんこう)、吹き飛んだ窓ガラス。倒れて折り重なった人の山、床に流れる真っ赤な血。1945年7月28日朝、死者45人以上の大惨事となった鳥取県大山町の大山口列車空襲で、当時15歳だった近藤裕さん(95)=東京都在住=は「地獄」を見た。
「怖くて怖くて、恐怖で身が縮んだ」という体験を、戦後70年目の慰霊祭で初めて語ってから10年。語り部として手弁当で大山町内の小中学校を回ってきたが、帰郷がままならなくなった。今夏の慰霊祭も欠席。「戦争は人が死ぬばかり。絶対にしちゃいけない」。切実な思いだ。
同じ10年前、被災者の会の会長だった故伊藤清さんから会を引き継いだのが、現会長の金田吉人さん(76)ら約20人のメンバー。全員が戦後生まれだ。金田さんは近藤さんの体験談に「映像を見ているようだ」と衝撃を受け、何を、どう伝えるか、手探りを続けてきた。
「戦争は最大の人権侵害」-。副会長の大原毅さん(79)が出前授業で子どもたちに語りかける言葉に、見つけた一つの答えがある。
「友達と一緒に笑う」「家族と食事をする」。戦争はそんな当たり前の日常を奪う。先日の慰霊祭に続く集いで、平和学習を重ねてきた小中学生の発表に、金田さんは胸を熱くした。「自分自身の問題として子どもたちは心で捉えてくれる」。戦後生まれでも伝えていける。目の前で、希望の灯がともっていた。(吉)