「2度と戦争がなきよう、世界平和を守ってまいります」

 39人の命が失われたとされる玉湯空襲から80年を迎えた7月28日、玉湯町湯町の報恩寺で開かれた慰霊祭で「玉湯空襲鎮魂と継承の会」の本間順一副会長(89)=松江市苧町=が宣言した。

 報恩寺には空襲の犠牲者を弔う慰霊碑がある。慰霊祭はかつて開かれていたが、五十周忌を機に大々的に行われなくなった。玉湯空襲を9歳の時に目撃した本間さんは、その状況が続いているのを知り「人ごとではないし、亡くなった方があまりにもかわいそうだ」と2020年に有志らとともに復活させた。

 戦後80年、今や貴重な存在となった証言者の一人である本間さんに、あの夏の空襲の様子や終戦直後の出来事を聞いた。

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