戦後80年を迎え、経験者は高齢化し、記憶は薄れつつある。そんな中で事実を後世に伝える一つが、当時使われた「モノ」だ。

 39人の命が失われたとされる1945年7月28日の玉湯空襲を経験した本間順一さん(89)=松江市苧町。当時を振り返ってもらう企画の(下)は戦争の風化を恐れ、古着屋や古道具屋で収集し始めた本間さんの思いを紹介する。

(上)1945年、9歳の夏 突然の「玉湯空襲」 日本軍機の音と違う「キーン」
(中)鬼畜米英から一転、「アメリカと仲良くしよう」

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 本間さんが、所有するのは鉄かぶとや軍服、氏名や住所、血液型が記された...