『第38回東京国際映画祭(TIFF)』のレッドカーペットに登場した(左から)エリザベス宮地、ERO、吉井和哉 (C)ORICON NewS inc.
『第38回東京国際映画祭(TIFF)』のレッドカーペットに登場した(左から)エリザベス宮地、ERO、吉井和哉 (C)ORICON NewS inc.

 「第38回東京国際映画祭」が27日、開幕。出品作品『みらいのうた』(Nippon Cinema Now部門)から、ロックバンド・THE YELLOW MONKEYののボーカル・吉井和哉、URGH POLICE(アーグ・ポリス)のボーカル・ERO、監督のエリザベス宮地がレッドカーペットに登場した。

【動画】ドキュメンタリー『みらいのうた』予告編

 1990年代に「JAM」「バラ色の日々」などのヒット曲で一世を風靡したTHE YELLOW MONKEYは、グラマラスな世界観と詩的な歌詞で、今なお多くの音楽ファンを魅了し続けている。バンドのフロントマンである吉井は、その深く響く歌声と圧倒的な存在感で知られる。

 同映画祭には、松永大司監督のドキュメンタリー映画『オトトキ』(17年)以来、2回目の参加。「ミュージシャンが何回も映画に関するレッドカーペットを歩かせてもらえるなんて」と感謝を伝え、作品について「吉井和哉、THE YELLOW MONKEYに関係なく、人間のリアルなドキュメンタリーになっていると思う」と話していた。

 EROは、吉井にとって音楽人生の原点とも言える存在。吉井は10代の頃にベーシストとしてURGH POLICEに加入。同バンドは音楽性の違いからバンドは自然解散。その後、吉井はURGH POLICEで出会った仲間とTHE YELLOW MONKEYを結成し上京した。一方、EROは静岡に残り、地元で働きながらカントリーミュージックに傾倒していった。

 本作の始まりは、EROが脳梗塞で倒れた2021年にさかのぼる。音楽活動はおろか仕事も続けられなってしまったEROのために何かできないかと考えた吉井は、「URGH POLICE時代の曲を、もう一度一緒にやらないか?」と40年ぶりのセッションを提案。あわせてドキュメンタリーの撮影を開始した。ところが――撮影開始から数ヶ月後、吉井が喉頭がんになっていることが発覚する。

 吉井が24年に東京ドームで復活公演「THE YELLOW MONKEY SUPER BIG EGG 2024 “SHINE ON”」を果たすまでの3年間も撮影を続行。復活公演を終えた約3ヶ月後、吉井はEROとの約束を果たしに、静岡に帰郷。URGH POLICE当時から40年ぶりのセッションへ準備を進めていく――。

 2001年の東京ドーム公演で披露された「JAM」、24年公演から「バラ色の日々」「悲しきASIAN BOY」のライブパフォーマンスも収録。吉井が作詞・作曲・プロデュースを手がけたBiSHのラストシングル「Bye-Bye Show」の制作過程や、彼女たちの東京ドーム解散公演の舞台裏も。また、早すぎる死が日本のロックファンを悲しませたチバユウスケとの絆や、彼の存在についても語られる。

 東京国際映画祭での上映が本作のワールドプレミアとなる。12月5日より劇場公開。