DMVの営業路線
DMVの営業路線
整備中のDMV(デュアル・モード・ビークル)の前に立つ井原豊喜さん。地元の期待も大きく期待に応えたいと張り切っている=8月4日、徳島県海陽町
整備中のDMV(デュアル・モード・ビークル)の前に立つ井原豊喜さん。地元の期待も大きく期待に応えたいと張り切っている=8月4日、徳島県海陽町
宍喰駅に姿を現したDMV(デュアル・モード・ビークル)。前部の下に金属製の車輪が下りて、線路をとらえている=8月5日、徳島県海陽町
宍喰駅に姿を現したDMV(デュアル・モード・ビークル)。前部の下に金属製の車輪が下りて、線路をとらえている=8月5日、徳島県海陽町
金属製車輪を引き上げタイヤ車輪を下ろした「バスモード」で道路を走るDMV(デュアル・モード・ビークル)=8月5日、徳島県海陽町
金属製車輪を引き上げタイヤ車輪を下ろした「バスモード」で道路を走るDMV(デュアル・モード・ビークル)=8月5日、徳島県海陽町
DMVの営業路線
整備中のDMV(デュアル・モード・ビークル)の前に立つ井原豊喜さん。地元の期待も大きく期待に応えたいと張り切っている=8月4日、徳島県海陽町
宍喰駅に姿を現したDMV(デュアル・モード・ビークル)。前部の下に金属製の車輪が下りて、線路をとらえている=8月5日、徳島県海陽町
金属製車輪を引き上げタイヤ車輪を下ろした「バスモード」で道路を走るDMV(デュアル・モード・ビークル)=8月5日、徳島県海陽町

 線路の上を滑らかに走ってきた鮮やかな赤色の車体が静かに止まった。8月5日朝、徳島県海陽町の宍喰(ししくい)駅に、道路と線路の両方を走るデュアル・モード・ビークル(DMV)が姿を現した。

 前部のタイヤ車輪を引き上げ、代わりに下ろした前後4輪の金属製車輪が線路をとらえる「鉄道モード」だ。だが、金属製車輪は自らは回っていない。専ら脱線防止のためで、動力源はエンジンで回す後部のタイヤ車輪だ。これが線路に働きかけ、車体を推進している。ハンドルは固定、運転手は自動車と同じように足でアクセルとブレーキを操作する。

 この日、DMVは道路でも、金属製車輪を引き上げ、タイヤ車輪を下ろした「バスモード」で走った。運行しているのは徳島県や海陽町などが出資している阿佐海岸鉄道。年内に世界初の本格営業運行を実現することを目指し、運転手の習熟訓練を始めたのだ。

 これまでの営業路線は徳島県南部から高知県の東洋町までの3駅、総距離約8.5キロにすぎないが、DMVを3台投入して鉄道区間を10キロに延ばし、線路がないところはバスとして走らせる。さらに土日祝日には高知県の観光名所、室戸岬まで延長し、営業路線を約50キロまで延ばす。

 

 東京五輪に合わせた今夏の営業運行を予定していたが、直前の国土交通省の技術検討会で、車輪部品の溶接部に耐久性不足が確認されたため、補強が必要になり先送りになった。陣頭指揮を執る専務の井原豊喜さん(61)は「しっかり対応したい。その分延びた準備期間を有効に使う」と気を引き締める。

 同社は、旧国鉄民営化の際、JRから切り離された完成間近だった路線を引き継ぐ第三セクターとして1988年に設立された。地域の公共交通維持を担っての創業だったが、過疎化が進む中で乗客は減少傾向をたどり、事実上、赤字経営が続く。徳島県や近隣自治体からの拠出による基金で赤字を埋め合わせ経営を維持している。

 こうした状況を打破しようと2016年から本格的にDMV事業に取り組んできた。初期投資額はマイクロバスを改造して造るDMV車両製作費など約16億円に上る。

 「鉄道ファンだけをターゲットにしているのではない。話題性のあるDMVを入り口にして、美しい海岸やおいしい海鮮料理、温泉などを楽しんでもらえるように仕向けたい」。井原さんの視線の先にあるのはDMVを核とした観光戦略だ。

 車体関連の業者や行政との連絡など多忙な日々を送る井原さんだが、実は鉄道には全くの門外漢だ。阿佐海岸鉄道に入ったのは19年。その前は流通大手でスーパー店長などとして東海や関西で勤務していた。出身の海陽町に戻ることになったときに、偶然、DMV事業責任者の募集があり、これに応募した。

 「鉄道運行の職場は『職人の世界』みたいなところもあり、やや閉鎖的。新たなことに挑戦しようというモチベーションの醸成を心がけてきた」。そう語る井原さんは最近の職場の雰囲気に手応えを感じている。

 数人が世界初のDMV事業に魅力を感じて入社、新人運転手として技術習得に余念のない日々を送っている中、ベテランも刺激を受け、気持ちが前向きになってきたという。

 

 20年に運転手として入社した吉澤信一さん(50)は、それまで沖縄県・竹富島で観光バスやタクシーの運転手として働いてきた。

 神奈川県出身の吉澤さんは美しい自然にひかれて竹富島に移住、充実した生活を送っていたが、少し物足りなさも感じていたタイミングで新型コロナウイルス感染が拡大。島の観光業も打撃を受けていた。

 このときに知人からDMVの話を聞き井原さんから直接、説明を受けた。「竹富島も過疎の島だったが観光で復活した。海陽町でもできる。このチャンスを逃しては後悔する。最後の挑戦だと思いました」

 吉澤さんにとって海陽町は縁もゆかりもない土地だが、人生第二の舞台になったようだ。

 町はDMV一色。至る所にポスターが張られ、のぼりも林立。飲食店にもパンフレットが置かれ、土産物店ではロゴ入りのバッグが棚を埋めている。宍喰駅には町民からの寄せ書きが壁いっぱいに張られていた。「コロナに負けるなDMV、がんばれ」「DMVさんよろしくお願いします。91歳のおばあさんより」…。DMVは世界初の本格営業運行へ向け最終コーナーを回りつつある。

 

 

 住民の足 のしかかる赤字 公的支援縮小の努力必要

 

 廃線が続くJR北海道などの事例をみても明白だが、過疎地で公共交通機関を維持するのは至難の業だ。利用者が少なく運賃収入が限られる中で設備整備、維持や人件費などコストがかさむ経営構造は各地の第三セクターに共通する課題だ。その交通手段の途絶が住民の生活に大きな支障を及ぼすのであれば、公金の投入もやむを得ない場合もあるだろう。

 阿佐海岸鉄道もDMV事業で最大約1400万円、収支が改善される見込みだが、黒字転換までは見通せていない。徳島県や近隣自治体からの拠出による基金を管理する海陽町はDMV事業後も補助金投入を継続する方針だ。ただ、その規模については縮小する努力が必要としている。