太平洋戦争は多くの人命を奪っただけでなく、地域の未来も大きく変えた。戦前・戦中に策定され、戦争激化で頓挫した高速道路構想を眺め痛感した▼長崎から山陰両県、北海道の稚内まで、ほとんどの区間で日本海沿いを走る道がある。今の米子道、浜田道に当たるルートも。南九州や四国に計画はなく、大陸の国々を意識し国防色が強い。円滑な軍隊の移動と物資の供給だ。戦後に話が進めば日本海側の発展に大きく貢献しただろう▼地方の高速道路建設は税金の無駄遣いと批判された。「車が少ない」「動物が走る」など。利用者の多寡のみで測ればそうなるが、2千年以上に及ぶ世界の道路網整備の歴史を思えば短絡的だ▼いにしえの高速と言えるローマ街道は順に軍隊、役人、生産物、民間人の移動・輸送に寄与し、古代ローマ千年の繁栄を支えた。東日本大震災では被害が大きかった太平洋沿岸へ、発生から4日以内に15本の救援ルートを確保し、起点となる内陸の東北道から大量の物資が運ばれた▼今年は陰陽を結ぶ浜田道の全線開通から30年。先日、浜田から広島へ至る旧来の国道186号を走った。かつて長距離バスが往来したとは信じられないほど、擦れ違いに苦労する道幅のつり橋やトンネルがあり、川と崖に挟まれたくねくね道が続いた。移動というより風光と古き街道の情緒を味わう旅路。高速に慣れた身には幻のようだった。(板)