島根県松江市島根町であった建物30棟を焼く大火から一夜明けた2日の現地。全焼した住宅を見つめる住民、避難所の島根公民館で過ごす人々、いても立ってもいられず救援物資を届けに来た個人や団体などさまざまな姿があった。現地を歩いた山陰中央新報Sデジ編集部の記者がリポートする。
「映画のCGのようで」
同日午前10時ごろ、現場に到着して最初に飛び込んできた光景は衝撃的だった。黄色い規制線が張られた先には、骨組みだけと化した住宅らしき建物、そばに積み上がったがれき、依然立ち上がる白煙に放水を繰り返す消防隊員ー。一夜明けても鎮火には至っておらず、そこはまさに「災害現場」だった。
被害があった集落は、日本海に面した小規模な漁村。磯の香りの代わりに、不快な焦げ臭さが鼻を突いた。眼前の道路を走るほとんどの車やバイクの運転手が車体を止め、不安そうに眺めていたのが印象深い。
「一瞬で素人には手が出せないほどの炎になった。映画のCGのようで、現実とは思えなかった」。現場すぐ近くの住民で、焼け跡を見つめていた自営業の50代男性が思い返した。
1日は自宅におり、大量の煙に気づいて外に出て火災を知った。すぐに避難し、自宅も無事だったが、昔から知る同じ集落の住民たちの家が焼け落ちたことに「ショックを隠せなかった」という。
「家を無くした人たちにどう声をかけていいかわからない」と、避難所に行く気にもなれず、近くの親戚の家で一夜を過ごした。様子を見るため再び現場に戻ったが、想像以上の惨状に「本当に言葉が出ない」と絞り出した。
避難所に響いた声
現場から約800㍍離れた避難所の島根公民館。研修室や多目的室など4部屋を避難者向けに開放しているという。迷惑にならないようドアの窓から様子をうかがうと、ダンボールで複数に区切られたスペースに座り込む人々が見えた。表情は暗い。ドアが開いている部屋からも話声はほとんど聞こえなかった。
避難所にいた市職員に聞くと、「ショックで外に出られない人もいる」という。命の危機にさらされ、長く過ごした自宅を失い、顔見知りとはいえ、家族以外と同室で寝泊まりする。抱えるストレスは相当なものだろう。
その時、玄関側から「お待たせしました!」という元気の良い声が。何事かと向かうと、人々が車から食料や衣服などが入ったダンボール箱を運び込んでいる最中だった。市職員に聞くと、町内外の個人や企業団体から、続々と救援物資が届いているという。
中には、水の入ったペットボトル数本をビニール袋に入れて訪れる高齢男性の姿も。男性は「本当に少しで申し訳ないけど何か力になりたくて」「困った時はお互い様だけん」と大声で笑っていた。衝撃的な光景ばかりが続いた今日、初めてほっとし、初めて少し笑えた気がした。
大火は、今回のように地形や気候など人の手が干渉できないものが要因となる場合もある。ただ、初期消火に向けた意識の徹底や体制整備など、被害を最小限に食い止めるためにできることはある。避難所で見た人々のようにつらい思いをする住民を1人でも減らすにはどうすればよいのか。メディアを通して必要な情報を広く伝えることができる記者が果たす役割も大きいはずだ。責任の重さを痛感した一日だった。