石本正「牡丹」(1989年)
石本正「牡丹」(1989年)

 浜田市三隅町出身で女性表現に革新をもたらした日本画家石本正氏(1920~2015年)の足跡をたどる「生誕100年 回顧展 石本正」(山陰中央新報社など主催、浜田市立石正美術館特別協力)が、松江市袖師町の島根県立美術館で開かれている。石本氏の大学での教え子で、浜田市立石正美術館の西久松吉雄館長に、石本氏の人となりや画業について寄稿してもらった。

 「画を描くことは楽しい。生きる喜びでもある」

 2001年、浜田市立石正美術館が開館した時に発刊された『絵をかくよろこび』に書かれた言葉である。そして今回の石本正生誕100年回顧展を記念して、この著書は復刻された。

 石本先生のアトリエを訪問した時、画室で何時間も描くことの楽しい話を聞かせていただいた。牡丹(ぼたん)や芥子(けし)の花の写生、裸婦デッサンでの発見など、さまざまな感動の話を熱く語られた。

 京都市立芸術大日本画科の恩師である石本正先生から、作品制作のきめ細かな指導を受けたことはあまり記憶になく、好きなように描いたらいいという姿勢を貫かれた。

 これは、学生にとっては悩みながら描く、混迷と創造の試練である。日本画材の使用法や作画手順は日本画基礎教育で学ぶ。先生は主に4年生を担当され、学生一人一人の個性を大切に伸ばしていこうという考えと、過干渉・過保護にならないよう自主性を重んじる方針をお持ちだった。学生作品をよく記憶されていた事から常に学生の作画を気にされていた。浜田市立石正美術館には、その教え子たちの作品も収蔵されている。

  =次回は15日掲載= 

 

石本正略歴

 いしもと・しょう 1920年、島根県那賀郡岡見村(現・浜田市三隅町岡見)生まれ。浜田中学校(現・浜田高校)を経て、京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大)で日本画を専攻。47年の第3回日展に初入選。59年ごろから舞(まい)妓(こ)や裸婦をモチーフにした作品を発表し、女性美の表現を追求した。71年に第21回芸術選奨文部大臣賞を受賞した後は全ての賞を辞退。京都市立芸術大、京都造形芸術大(現・京都芸術大)の教授を務めた。2015年、95歳で死去。