山陰新聞の創刊号(『山陰中央新報百二十年史』より)
山陰新聞の創刊号(『山陰中央新報百二十年史』より)

 この春、社会人として企業に入った皆さんに、ぜひお勧めしたいことがある。機会があれば、自社の社史に関心を持ち、冊子があれば読んでほしい。

 今から140年前、1882(明治15年)の5月1日、山陰中央新報の前身である「山陰新聞」が創刊した。

 創刊時の経緯を記した社史『山陰中央新報百二十年史』によると、創刊号はタブロイド版4㌻。現物は国立国会図書館にしかない、貴重な物となっている。

 当時の新聞は、江戸時代からのいわゆる「かわら版」の流れをくむ小新聞と、論説を主とした大新聞の2種類があり、山陰新聞は大新聞の類いだった。

 島根県立図書館に保存されるマイクロフィルムで創刊号を見ると、その通り、硬い内容がほとんどで、言葉使いも今とは微妙に違い、手元に辞書が必要だ。

 前年の81年9月には、一時島根県に統合されていた鳥取県が再置される極めて大きな出来事があった。創刊時は両県の「分立」後、初の島根県議会が開催中ということで、これから傍聴してどのような議論が交わされるか、つぶさに伝えたいとする記者の意気込みが記されている。

 さらに読み進めると、中面の「発刊の辞」が興味深い。

 「我山陰諸州ノ如キハ(中略)交通ノ不便ハ全国ノ僅カニ有ル所ナルヲ以テ人心ノ開発モ自カラ其影響ヲ受ケテ近日ニ至ルマ迄稍不振ノ勢ヒヲ顕セシガ如クナリシト雖モ人心ノ活動ハ豈山海ノ能ク拒絶スル所ナランヤ」(わが山陰は交通の不便さでは全国有数で、そのために人の考え方もその影響を受けて、最近に至るまでやや不振にみえる。しかし、人の思想は山や海で遮られるものではない)

 140年という節目の時を迎えた今、同じような志を持って、仕事に向き合おうという気持ちになる。

 手前の話が長くなったが、新聞の歩みを振り返ることができるのも社史による手引きがあるからだ。企業が誕生した時代背景や、創業者の思いなど、それぞれの「プロジェクトX」がそこにある。

 社史は、外部への販売を想定したものではないので、他社の社史を目にする機会はさらに少ないかもしれない。しかし、取引先など関係する会社の社史を図書館や古本屋で目にすることがあれば、手に取ってほしい。必ずとは言わないが、仕事上で役立つ時がある。

    (論説副委員長・万代剛)

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