寛次郎さんは24歳から27歳にかけて京都の陶磁器試験場に技手として勤め、古今東西の陶磁器の研究に従事しました。そこで得た釉薬(ゆうやく)に関する知識は相当なもので、試験場を辞してからは清水六兵衛窯の顧問を務め各種釉薬の調製を担当するなど、若くして「釉薬の河井」とその名が知...