戦後間もない71年前、東京・新宿で小さな洋裁店を開いた。その後、映画製作を再開したばかりで、新たな才能を探していた日活の衣装担当者が店を訪ねたのが、世界的ファッションデザイナー誕生のきっかけとなった▼その店主が当時20代半ばだった島根県六日市町(現吉賀町)出身の森英恵さん。石原裕次郎さん主演の『狂った果実』(1956年)をはじめ、数百本もの映画衣装を手がけ、流行をつくり出す〝売れっ子〟になった▼だが、仕事に追われ、ろくに睡眠時間も取れない生活に行き詰まり、1961年にパリとニューヨークを訪問。その際に見たオペラ舞台『マダム・バタフライ(蝶々(ちょうちょう)夫人)』で描かれた、か弱い日本の女性像に反発するように海外へ進出したという▼六日市で過ごしたのは小学3年までだった。それでも「山と水に囲まれ、自然と日常的に接した幼少期の経験は、仕事をする上で元手となった」と振り返る。トレードマークの蝶も、ドレスを彩る草花の柄も、自然豊かな古里での経験がベースになっていたのだろう▼森さんが96歳で亡くなった。東京スカイツリーのデザインを監修した同郷の彫刻家澄川喜一氏(91)が一昨年10月に文化勲章を受けた際は「(澄川)先生の創作のベースには故郷の自然があると共感しています」とコメントを寄せた。世界で輝く日本人女性の先駆けは旅立ったが、故郷が育んだ作品は末永く残る。(健)