出雲大社(出雲市大社町杵築東)の「平成の大遷宮」で、60年ぶりの本殿遷座祭が営まれた2013年5月10日。心配された雨は朝から土砂降りだった。
雨は、新しくなった本殿の檜皮(ひわだ)ぶきの屋根を重くぬらし、昼過ぎになって上がった。仮殿から本殿に祭神オオクニヌシノミコトのご神体を戻す神事が、午後7時に境内で始まった。闇と静寂の中、ご神体を囲み、列を成して進む神職たち。本殿前の楼門をくぐり、「おー」という厳かな警蹕(けいひつ)の声が3度発せられた。
ご神体が本殿に戻った。と同時に、不思議なことが起こった。ぽつぽつと雨が降り始めた。そして、神事が終わると、また大降りになった。参列者はそれぞれ見えない力の存在を感じ、煙る空を見上げた。
▽「夢のような時間」
「遷宮が残した財産は『出雲』のネームバリュー。びっくりするくらいその名が全国に広まった」
出雲観光協会の田辺達也会長(64)は、法被姿で毎日のように出雲大社の勢溜(せいだまり)に立ち、おびただしい数の観光客の記念写真を撮り続けた日々を、「夢のような時間」と振り返る。
「縁結び」や全国の神々が集う「神在月」の舞台としてもともと広く知られた出雲大社。08年4月から19年3月まで、足かけ12年にわたる大遷宮は「お膝元」の街の姿も大きく変え、その存在の大きさをあらためて示した。
旧大社町が、旧出雲市と合併した05年、門前の「神門通り」は空き店舗が目立った。観光バス、自家用車は出雲大社脇の駐車場に乗り付け、参拝後も車で去る。人のまばらな通りで開いている店は20余りだった。
合併後の新市では大遷宮もにらみ「観光都市」を目指し、通りの再開発が進められた。車道幅を狭める一方、歩道を広げ、歩きやすく生まれ変わらせた。
07年には出雲大社の集客力を背景に近隣に整備された島根県立古代出雲歴史博物館がオープン。展示品には荒神谷遺跡(出雲市)の青銅器、加茂岩倉遺跡(雲南市)の銅鐸(どうたく)、出雲大社境内遺跡から出土した宇豆柱(うずばしら)などが並んだ。
▽「ブランド力」生かす
住民たちがかいた汗も見逃せない。田辺さんや地元商店主の有志でつくる「神門通り甦(よみがえ)りの会」は出雲観光の目玉を探し、史料という史料を読みあさった。ある文献に「ぜんざい発祥の地は出雲」とあり、「出雲ぜんざい」を通りのにぎわい創出の核とし、飲食店の出店につなげた。
呼応するように、若者向けのカフェやアクセサリーなどの出店も相次ぎ、観光客向けに軒を連ねる店は約90になった。
受け入れ態勢が整った門前町は、息を吹き返した。年間約200万人だった出雲大社周辺の入り込み客数は、本殿遷座祭があった13年の804万人をピークに500万人前後を維持。20年度以降、新型コロナウイルス禍の影響で途切れた人の流れも戻りつつある。大型連休中、通りは県外ナンバーの車の列ができ、街歩きの観光客でにぎわう。
今年7月、京都市からUターンし神門通りで人力車の営業を始めた糸賀太郎さん(31)=出雲市大社町修理免=は、観光客と日々接し、肌で感じている。
彼らが何を求めてやって来ているのか。その答えとして「神様」という概念を含め、地域に根付く目に見えない歴史や文化が、多くの人を引きつける事実だ。
「出雲はまだまだポテンシャルがある。観光分野に限らず出雲という名の持つブランディング効果は大きい」。その魅力を伝えようと出雲大社近くの稲佐の浜や日御碕地区を中心とした日本遺産「日が沈む聖地出雲」と絡め、夕方の「サンセットプラン」を始めた。
受け継がれる価値と財産を守り、潜在力を引き出し高めていく。出雲という地の魅力とブランド力を生かす発想と行動が、街の未来を形作る。
(平井優香)
=第3部おわり=