松平不昧の茶道の境地を今に伝える明々庵=松江市北堀町
松平不昧の茶道の境地を今に伝える明々庵=松江市北堀町

 通称「赤山」と呼ばれる一角、松江市北堀町278番地。大名茶人・松平不昧(ふまい)(治郷(はるさと))ゆかりの茶室「明々庵」がある所だ。この住所で1934年に生まれ、本籍地にする人がいる。東京工大名誉教授の安部明廣さん(88)=横浜市在住=だ▼以前に小欄で紹介した安部さんの父・十二造(とにぞう)氏(1896~1969年)は島根県奥出雲町の出身。米国留学後、今のKDDIのルーツとなる国際電話会社の設立などを手がけ、広田弘毅元首相ら当時の政財界の要人や、陽明学者の故安岡正(まさ)篤(ひろ)と親交があった▼32年にいったん帰郷した十二造氏は、ここに自宅を構え、現在の同市上乃木で寝食と農作業を共にしながら学校に通う育英塾「寺子屋」を設立。39年に財団法人「祈月(きげつ)書院」に改めた。名称は戦国武将・山中鹿介の故事に由来する▼終戦後約8年は引き揚げ孤児を引き受け、その役割を社会福祉法人・双樹学院を設立して引き継ぐと育英事業を再開。十二造氏が提供した株式を元に約60年間、給付型の奨学金と研修会、会報発行を柱に「視野の広い若者づくり」を続けている。支援した県出身の学生は230人を超える▼赤山の家は財団化する際に資産用に寄付。その後、島根県からの申し入れで土地を県に寄付すると9年後に明々庵が移築された。財団を引き継いだ明廣さんは、帰松すると時々、赤山に寄り、見覚えのある景色や庭木を眺めるという。(己)