義を貫いた武将として、第4代兼連が祭られている三隅神社=2021年11月、浜田市三隅町三隅
義を貫いた武将として、第4代兼連が祭られている三隅神社=2021年11月、浜田市三隅町三隅

 新史料の発見で歴史は変わることがある。郷土史を研究する浜田市三隅町の住民も体験した▼石見随一の豪族益田氏から分家し、所領の分配を受けた初代三隅氏が鎌倉幕府から領有権を認められたのは1229年とされていた。ところが2002年、山口県萩市で見つかった古文書に幕府の承認は執権北条義時を通じて1223年とする記述があった▼三隅氏に関しては残存史料が乏しく、分からないことは多い。専門家の研究報告を経て、三隅郷土史研究会の会員たちが原本をこの目で見たいと、所蔵する萩博物館を訪れたのは一昨年末のこと。事務局長の田城謙二郎さん(74)は「興奮しました。新しい発見がまだあるかもしれないと」▼第4代兼連(かねつら)は、後醍醐天皇が隠岐を脱出し伯耆国船上山で倒幕の兵を挙げると、石見からはせ参じたと伝わる。敵味方が目まぐるしく入れ替わる争乱の時代を宮方で戦い通し、義を貫いた武将として三隅神社に祭られている。歴史を掘り起こしたくなるのは、現世が動乱もようのせいもあろうか▼1223年を三隅氏の紀元とすると、迎えた2023年は800年の節目になる。住民有志は活動団体を立ち上げ、年間を通して町を盛り上げる企画の準備を進めてきた。「今しかできない、今だからできる絶好のチャンス」と会長の丸山義尚さん(59)。古里の再発見で地域は変わると信じて。年明けていざ出陣である。(史)