沖縄は15日、1972年の本土復帰から49年を迎えた。

 52年にサンフランシスコ講和条約で主権を回復した日本から、沖縄は切り離された。戦争放棄の憲法9条が適用されない沖縄には本土から米軍基地が移設され、軍事拠点化が進んだ。県民は本土復帰運動で基地の撤去を求めたが、それがかなわぬままの復帰だった。

 安全保障上の負担を沖縄に押し付ける構図は約半世紀たっても変わらない。在日米軍専用施設の約70%が沖縄に集中し、名護市辺野古では大規模な基地移設工事が進む。

 さらに、米中両国の対立が深まる中で、沖縄の軍事拠点としての重要性が強調され、自衛隊の配備も強化されている。

 しかし、冷静に考えたい。沖縄県・尖閣諸島や台湾を巡る軍事衝突が起きれば、沖縄は確実に戦闘に巻き込まれる。住民らに甚大な被害が出る事態を想定すべきだ。

 太平洋戦争末期の沖縄戦では本土防衛の「最前線」とされ、米軍統治時代にはアジア展開の前線基地とされた沖縄を、再び国際的対立の最前線にしてはならない。北東アジア地域の平和と安定に向け、緊張緩和を働き掛ける外交的取り組みが政府には求められる。

 49年前の5月15日、琉球政府主席から県知事となった屋良朝苗氏は、那覇市で開かれた記念式典で、米軍基地に言及し「これからも厳しさは続き、新しい困難に直面するかもしれない」と述べた。その懸念は現実のものとなっている。

 国土面積の約0・6%の沖縄は過重な基地負担を強いられ、日米地位協定に守られた米兵が絡む事件・事故も後を絶たない。玉城デニー知事は今年2月の県議会で「当面、全国の50%以下を目指す」と数値目標を挙げて基地縮小を働き掛ける考えを表明した。基地の運用には地元の理解が不可欠だ。沖縄の声を受け止めるよう政府に求めたい。

 だが現実の動きは異なる。防衛白書は、朝鮮半島や台湾海峡などの「潜在的紛争地域」に近い沖縄は「安全保障上極めて重要な位置にある」と沖縄米軍基地の「抑止力」を強調する。

 その「台湾」を共同声明に明記したのが、4月の菅義偉首相とバイデン米大統領との首脳会談だ。声明は「台湾海峡の平和と安定の重要性」を指摘し、対中戦略での日米の連携を確認した。

 日米の首脳声明に台湾を明記するのは、沖縄返還で合意した69年の佐藤栄作首相とニクソン大統領の会談以来となる。ただ米中がその後、対話に向かった69年当時と比べ、今の方が緊迫度は高いかもしれない。

 同盟国重視の姿勢を打ち出しているバイデン氏は、同盟国に応分の貢献を求めてくる可能性がある。日本政府も台湾有事を想定し、自衛隊活動の法運用の検討に入っているという。しかし、台湾有事が起きれば、沖縄の米軍基地も攻撃対象となるだろう。有事を回避する外交努力にこそ全力を傾注すべきだ。

 日米の学者らでつくる「万国津梁(しんりょう)会議」は3月、沖縄はその地理的条件を生かし、地域の信頼醸成のための連携の拠点を目指すよう県に提言した。各国の経済的結び付きは深い。政府が目指すべき方向も同じではないか。米政権の同盟重視の姿勢を捉えて日本の発言力を高め、緊張緩和と沖縄の基地縮小を実現していく戦略が求められる。