スペースジェットの試験機=2020年3月、愛知県営名古屋空港
スペースジェットの試験機=2020年3月、愛知県営名古屋空港

 自動車と並ぶ日本製造業の柱にとの期待を背負い、三菱重工業が手がけていた国産初のジェット旅客機スペースジェット(旧MRJ)開発が撤退に追い込まれた。閉塞(へいそく)感が漂う日本経済に新たな成長の種がまかれなかったのは残念というしかない。

 技術力がビジネスとしての展開に必要な基準に到達できなかった事実は、日本の産業力の現状を反映していると見るべきだ。官民共に深刻に受け止めなければならない。

 ジェット旅客機に再び挑むかどうかは別にして、この開発のプロセスを詳細に検証することは日本経済の進展のためには欠かせない。今後も宇宙関連やデジタル分野などで大がかりな開発案件が出てくるはずだ。どこに問題があったのか、今回の失敗から学び、その知見を産業界、政策当局で共有してこそ、前に進めるのではないか。

 スペースジェットの開発には経済産業省が計約500億円の国費を投入して支援してきた。西村康稔経産相は「当初の目的を達成できなかったことは極めて残念であり、重く受け止めている」と述べた。

 国費投入が実を結ばなかったことには、民間企業の事業頓挫とは違う種類の責任が伴うことは言うまでもない。株主や取引先に対する責任ではなく、納税者に対する説明責任だ。

 松野博一官房長官は、開発で培った経験、人材は次期戦闘機開発プロジェクトに活用できるとの期待を表明したが、まずは公費投入判断の妥当性や具体的な政府関与について情報開示をするべきではないか。

 2008年の事業化決定後、三菱重工は計約1兆円の開発費を投じてきた。当初は13年にANAホールディングス(HD)に初号機を納入する予定だったが、設計ミスやトラブルで6回にわたって納期を延期するなど難航した。

 時間がかかりすぎたことでスペースジェットの技術は陳腐化し優位性を失った。最終的には商業運航に必要な「型式証明」を取得するために、今後も年間1千億円規模の資金が必要となることが分かり、事業性が失われた。

 大型開発には厳格な工程管理が求められる一方、当初の見込みと違った事態に迅速に対応するための柔軟な組織運営も必要だ。ジェット旅客機の設計・製造経験のない自社技術者による開発から、経験豊富な海外技術者も参加する体制への切り替えが遅れたことが致命的になったとの見方もある。

 開発の実態と、取るべき対策の提案が現場から経営陣に正確に伝わっていたのかどうか、報告を受けていたのなら、その際に経営陣が下した判断の妥当性は検証のポイントになるだろう。

 米ボーイング社に航空部品を供給するなど、三菱重工は部品メーカーとして世界市場で確固たる地位を築いている。部品を製造することと、旅客機全体を設計・製造することは別のプロジェクトなのだろうが、さまざまな分野で実績を積んできた同社が国内外の有力企業との効果的な協力体制を構築できていれば、違った結論になっていた可能性はある。

 日本の航空機産業ではホンダが小型ビジネスジェット機納入で世界首位を維持している。もちろん、単純な比較はできないが、彼我の差が何に由来するのか、探ることは有用だろう。