<ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの…>。室生犀星(1889~1962年)の『小景異情』の一節。望郷を連想させる詩として有名だが、真相は違う▼この詩は犀星が金沢に帰郷した際につくった。東京で苦しい生活を強いられ、懐かしい故郷に戻っても温かく受け入れてもらえない。疎外感を抱き、二度とここには帰るまい、と決意を込めた詩が、時がたつにつれ望郷の代表選手のように変わってしまったそうだ。言葉は生き物である▼それはともかく、ふるさとはいくら近くても「思ふもの」らしい。先日、同僚の誘いを受け、松江市周辺で暮らす鳥取県出身者でつくる松江鳥取県人会の総会に初めて参加した。存在自体を知らなかったが、親睦を目的に、64年前に結成されていたという▼コロナ禍もあり3年ぶりの開催。かつては100人近かったという参加者も20人ほどだった。大半が大先輩ながらも、出身地を口にすると「あ~、あそこか。近いわ」「昔、好きだった娘が住んでいた」などと大いに盛り上がり、世代を超えた連帯感が生まれた▼広島で勤務していた20年前、島根出身者の「ふるさと会」が市町村単位であることを不思議に思っていたが、その理由が分かった気がした。犀星の足元には到底及ばないものの、最後に拙詩を一つ。≪ふるさとは遠くなくても思ふもの そして懐かしく語るもの≫。お粗末。(健)